猿基地のお客さんで、アフリカを国名だと思っていた立命生がいたわけですがそれはいいとして、その学生がおばあちゃんの話を聞かせてくれました。
というのも、田舎に住んでいるそのおばあちゃんは、散歩のたびに山菜を採ってくるんだそうです。ワラビやフキノトウはもちろんのこと、イタドリなんていう山菜もあるらしいです。

そんな話を聞いて思うのは、「やっぱり知識は武器だなぁ」と。

たとえばぼくらは、そのへんに生えている草のどれが食べられるもので、どれが食べられないものかが判らない。だから、もし山道を歩いていたとして、いろんな山菜があったとしても素通りをしちゃう。それで、スーパーなんかに売っている山菜(しかもほんの一握りで400円くらいもするやつ)にお金を払って手に入れているわけです。

これって山菜にかぎった話ではなくて、なんでもそうだと思うんです。
知識があって初めて、「拾えるもの」を「見つけられる」ようになる。

たとえば、未開の地のアフリカ人の目の前に1万円札が落ちていたとしても、たぶん彼らはその価値に気づかないから拾いません。小学生を図書館の哲学書のコーナーに連れていっても、カントやデカルト、J.S.ミルになんて見向きもしない。
一方で、メンタリストとして有名なDaiGoさんのように普通に会話をしているだけなのに、相手の表情や仕草で、相手の状態を見抜ける人もいるわけです。それらの情報はぼくらにも同じように公開されているのに、ぼくらはたぶんDaiGoさんが拾っている情報の5分の1も拾えていない。


ちょうど昨日も猿基地で、ぼくが中学生のときに『imidas』を通読していた話をしたら、「ぼくは『現代用語の基礎知識』派でした」という人や、「ぼくはやっぱりネット世代で」という人がいたりして、その2人とも本当に知識が豊富で、どんな話でも盛り上がれちゃう。

そういう意味で、知識があると、身の回りの宝物をもっと多く発見できるんだと思うんです。
逆に言えば、知識がないと、たくさんの宝物をそれと気づかないまま素通りしちゃっているかもしれない。
椎名林檎の曲だけを聴いているだけでも、そりゃ楽しい。けれど、そこにブランキージェットシティの知識があれば、もっと椎名林檎の曲を楽しめる。ブルーハーツやクロマニヨンズだけでも、そりゃ十分に楽しめます。でも、クラッシュやラモーンズを知ったら、もっと彼らの価値を感じられるようになるようなものです。


さらに言えば、知識はぼくらの思考をショートカットしてくれます。
知識がないと、ゼロから自分で考えて答えを導き出すのに大変なことも、ただ単に知識があるだけで「そこ」をゼロ地点として始められる。ゼロ地点から一生懸命がんばって、どうにか10まで辿りつくようなものも、知識があるだけで10から考え始められるようになる。
知識を増やすことによって、日ごろ悩んだり迷ったりする回数を減らすことだってできるんです。

別に知識が絶対的な武器だとか、知識がすべてを助けてくれるという話じゃありません。
ただただ、知識は自分の人生の楽しさを増やして、悩みを減らすための超有効なツールだよね、という話です。だからこそみんながもっと知識に貪欲になったらいいのにな、という話です。

んで、やっぱりぼくはいちばん効果的に体系的な知識を得るのに最適なのは、断然、読書だと思うんです。読書をすれば、人生の楽しいことは増えるは、しんどい悩みは減るは、良いことだらけ。

さあ、みんな、もっと本を読もう♪