「タイムマシンがあったら、どの時代に行きたい?」
なんてことは、往々にして飲み屋の話題にのぼることがあるけれど、いったんこの本を読むと「19世紀半ばの日本」を、どうしてもこの眼で見たくなっちゃう。当時の「日本」が、どれほど現代の日本とは違っていたか。
私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。
という文章からはじまる、600ページ(!)の文庫本。
文庫本ながら、2000円。それでも充分なほどに、感じるところがありすぎます。しかもいつのまにかKindle版も出てるなんて、こっちも買いたい。

19世紀の幕末の日本を訪れた外国人の手記を素材として、西洋の目に映る「日本」と「日本人」を子細に拾いあげて整理された名著です。

どのページをめくっても、そこに書かれている「日本」の様子を知ると、「日本人」であることに誇りをもちつつ、喪われてしまった近代の「日本文明」に思いを馳せずにいられない。取り返すことも、戻ることもできないぼくらの先祖の「日本人」たちの姿がありありと描かれています。

当時の外国人は、「未開発」で「格下」の島国を開国させるために訪れました。
それは、より「発展」している自国に比べて「劣った」国に来ているわけで、どう考えたってそれは上から目線になるはず。なのに、この本で紹介されている彼らの手記(もちろん公的なものもありつつ、誰に宛てるともない日記まで)には、こんな言葉が並びます。
日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。
日本人ほど寛容心の大きな国民は何処にもない
生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意
貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない
日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しい
金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。......ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである
現代の日本人から見ても「そんな素敵な国があるなら住んでみたい!」と思っちゃう。
でも「その国」はまぎれもなく、日本なんです。
そんな、喪われてしまった「日本」が書かれている。
さらに彼ら外国人は、そんな当時の「日本」をこう嘆く。
いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。(中略)この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。
日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった。
「衣食住に関するかぎり、完璧にみえるひとつの生存システムを、ヨーロッパの文明とその異質な信条が破壊し、(中略)悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろうことに愛情に満ちた当然の懸念を表明」せずにはおれなかった。
まあ、勝手に西洋文明を持ち込んでおいて何様よ、と思わなくもないし、遅かれ早かれ西洋化されることにはなったのだろうけれど、確実に文明が進んでいる西洋人の目には、当時の「日本」はそれほどまでに「美しい国」であり「妖精の棲む国」であり、「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国」として映っていたわけです。


そんなぼくらの先祖に誇りと尊敬を感じながらも、読んでいて眉間にシワを寄せてる自分に気がつくんです。それって、もう「取り戻すことができない」「なんで今は……」と考えちゃうから。

「日本」の近代の歴史が書かれた本を読んでいると、個人的にはこうした「日本」はかろうじて戦後直後までは残っていたように感じます。この本に書かれている「日本」の残り香は、60年前まで存在していたはずです。GHQの「西洋化」で喪ってしまっただけ。


そんな「日本」を、ぼくらはもう取り戻すことはできなくて、「面影」を知ることしかできません。
だけど、そんな確実に存在した、ぼくらの先祖が身をもって体現していた「日本」を知ることで、矜持や気概をもっていまを生きる人が増えたら、もうちょっと何かが変わる気がします。
どこかの政治家が言う「美しい国」の本質は、この時代にあったんじゃないか、と思うんです。どんな政策を施すよりも、日本人全員にこの本を配ったほうが緩やかで自発的な形で「美しい国」になるかもしれないなぁ、とも思うのです。

けっこう厚い本だけど、まずは最初の10ページ。
それだけで、哀しくも逞しい気持ちになります。
あとは自分の興味のあるページ、適当にパラパラめくるだけで、そこにかつての「美しい国」が書かれてる。一気にぜんぶを読もうとしないで、気が向いたときにサラッと読むだけで、気持ちの中に何かが生まれるはずです。ぜひぜひ読んでみてください。