ハンサムケンヤのライブに行ってきました。
今回のライブでライブ活動の休止を宣言していて、実質的なラストライブ。
京都ハンサムズ時代から数えると7年間、一時期は猿基地の年間休日の3分の2がケンケンのライブによるもの、というくらいに通っていたけれど、それももうなくなっちゃう。(かどうかはわからないけれど、とりあえず)。そりゃもう行くしかないでしょ、ということで行ってきました。

00ハンサムケンヤ_9098

ライブの幕開けは、まさかの『これくらいで歌う』。
いつもならアンコールだとか、中後半の盛り上がりどころに持ってくるほどの彼の代表曲が、ライブのスタート。もう、この時点で彼らの想いというか、覚悟みたいなものが伝わってくる。「ああ、最後なんだなぁ」と自覚させられちゃう一方で、そのタイトル通りの『これくらいで歌う』というネガティブでもなく、ポジティブでもなく、いろんなものを抱えながらも進んでいく意志。
それって、このライブを象徴するものでもありながら、これからの決意表明でもあるような気がしちゃって、この曲が初めて演奏された6年半前の京都VoxHallのライブを思い出す。

そこから続くセットリストは、ライブの常連曲も演りつつ、滅多にやらない曲も置きつつ、それこそハンサムケンヤの魅力のひとつでもある多様性を表現するかのように、絶妙なセットリストでライブが進んでいくわけです。


その中で、今回のライブのぼくのハイライトは、中盤に演奏された『インスト』。

インディーズ時代の1枚目のミニ・アルバムに収録された、珠玉の1曲。
ハンサムケンヤの特異な言語感覚と世界観。彼の才能を凝縮したあの歌詞は、昨今のアーティストには誰にも書けないと思わせられるほどの完成度なんです。
それでありながら、普段のライブで演奏されることがほとんどないのは、ライブ映えのなさ故。圧倒的な歌詞と秀逸なメロディ展開がありながら、イントロがしょぼい。イントロから繰り広げられるギターリフがなんとも頼りなくて、ど~しても他の楽曲と比べて見劣りしちゃうわけです。

それをラストライブで、演る。
ぼくはそれこそハンサムケンヤの代表曲のひとつだと思っているので嬉しいことには違いないのだけれど、正直なところ「ラスト、やで……!?」という戸惑いもありました。たくさんのライブ映えする佳曲がある中で、かぎられた曲目に『インスト』入れちゃうの? と。

でも。
イントロを聞いた瞬間によぎったそんな考えは、
2秒後に覆されました。

あのペラッペラだったイントロのリフは、原曲を思わせないほどに深みを増していて、ケンケンのギターとポテちゃんのドラム、そこに絡んでくるシチロちゃんのベースが、あの『インスト』を進化させてたわけです。あの曲に隠れていたポテンシャルはそこまであったのか、って、まざまざと見せつけられてしまって……。
 

泣きました。


ぼくはあんまり泣くことがなくて、誰かとの別れがあろうが、感動の名作映画を観ようが、ぜんぜん鳴かない。ここ数年で「泣いたのってどれくらいあったっけ?」と考えてもほとんど思い出せない、ってほどに泣かない。

ただ、この『インスト』でやられちゃった。
ライブがはじまる前に控えていたケンケンに「楽しみにしてるね」なんつって握手をして、なんとなくケンケンの熱量に触れていたから、ってのも影響してるかもしれないし、いちばん後ろに立って誰からも見られてね~し的な部分もあったのかもしれないのだけれど、不覚にも、やられました。
目を閉じて、ぐ~ってガマンしてたのだけれど、「もう大丈夫かな?」と思って目を開けたらこぼれちゃった。この『インスト』1曲の演奏の中に、ハンサムケンヤの7年間の成長と進化を感じつつ、その歌詞の内容も相まって、感極まっちゃった。ぼくにもまだ人間の心が残ってたみたいです(笑)

暖かい言葉をくれた 掌を合わせても
夜明けふと目を開けりゃ雨音とずれる時計の針
新しい暮らしの始まり 足並み揃わない
活を入れりゃ腐りかけの期待感 土台から崩れ始め

夜中涙の枕 乾かすの 楽しい夢で
格好つかない時にだけ取り出す煙草
手を包む煙が どこまで吸えば消える
明日にもっていくことしかできない

こんな歌詞を書けるアーティストが、どれくらいいるんだろう。
そんな歌詞を書くアーティストが、もうライブ活動をしなくなる。
そんなことを考えながら、『インスト』を聴いてました。
00ハンサムケンヤ_6081

『インスト』のあとは、またライブ定番の曲が続いて、もちろんそれらも素敵だったのだけれど、ぼくにとってのハイライトは、やっぱりこの曲でした。

ケンケン、ポテちゃん、シチロちゃん、どうもありがとうございました。
とてもとても素敵なライブでした。ありがとう。
00ハンサムケンヤ_5877

ハンサムケンヤ
古都レコード
2011-05-18