たとえばぼくは服のセンスがなくて、小学校では学年に1人はいる「冬場も半袖短パン」の小学生で、中学生のときには「ジャングルに冒険でも行くの?」ってくらいに迷彩柄のシャツとカーゴパンツを合わせたりしてたし、高校時代はバンダナとか使っちゃったりもして、それは大学に入っても続いていました。
『POPEYE』とか『Hot・Dog』なんてチャラチャラしたファッション雑誌なんて読まね~よ、とか思いつつ、大学に入ってからは、ちょっと背伸びをして『Pen』とか『BRUTUS』なんかを読んだりして、大人の世界を覗き見る感覚を楽しみつつ、少しずつ「ファッションの世界」を知るようになっていきました。

んで、社会人になって、「センス」は多少なりとも改善していったわけです。

それって何かというと、知識・情報を入れたから。
センスがないのは、知識がなかったから。
知識を入れることで、センスは身につく。

そんなことを書いてあるのが、この本でした。
センスは知識からはじまる
水野学
朝日新聞出版
2014-07-08



著者は「くまモン」とかdocomoの「iD」を作ったクリエイティブディレクターの水野学さん。
それこそ「センス」によってデザインをして、作品を生み出して、世の中に影響を与えてきた人。

まさにタイトルの通り、「センスは知識からはじまる」ということをさまざまな例示と根拠と論理をもとにして説明してくれています。これがまさに就活や仕事にも通じるエッセンスがたっぷり。ファッションでもデザインでも何でも、もちろん就活でも仕事でも同じように、ぼくらが感覚的に捉えて、なんとなく漠然としている「センス」というものの体得の仕方を教えてくれているわけです。

その内容は理路整然としていながら、とてもシンプル。
センスに自信がない人は、自分が、実はいかに情報を集めていないか、自分が持っている客観情報がいかに少ないかを、まず自覚しましょう。いくら瞬時に物事を最適化できる人がいたとしても、その人のセンスは感覚ではなく、膨大な知識の集積なのです。
「“センスがいい”と呼ばれる人」とは、知識が豊富な人であり、知識が豊富な人とは仕事ができる人です。
センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。逆に言うと、不勉強と思い込みはセンスアップの敵です

つまり、情報がないからセンスがない、と。
勉強してなかったら、そりゃセンスなんて磨かれないよね、と。

くまモンでもiDでも、それを発想して形にしていくための判断をするのはあくまでも知識であり、情報。情報があるからこそ、生み出すものが決まるし、何が良くて何が要らないのかを決めることができる、というわけです。
センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。逆に言うと、不勉強と思い込みはセンスアップの敵です。

これって、就活や仕事でも同じことで、つまりは何かしらの効果的なアウトプットをする上で、知識こそがヒントになるし、知識を起点にして発想をすることが重要だよ、ということ。そして「就活しんどい」も思い込み。
 
新たなアウトプットの見本やヒントとなるのは何か?  それを知る糸口となるのが、知識に他ならないと僕は感じているのです。豊富な知識があるということは、センスを磨くためのよき師をたくさん持っているようなものです。

いろいろ工夫をするのは大事。
いろんな思考を巡らせるのも大事。
だけど、そこに知識・情報があるかないかで、そこから生まれるものの精度は大きく変わるよね、ということを繰り返し、さまざまな事例と喩えによって説明をしてくれます。

その内容を読んでいくと、就活や仕事で、自分が考えるもの、発する言葉の説得力ですら「センス」であり、それは「知識からはじまる」と言うわけです。
んで、その内容がまた『就活ゲーム』でも言っていることと似ているように感じるのは、たぶんぼくだけじゃないはずです。
センスが知識の集積である以上、言葉で説明できないアウトプットはあり得ません
なんてのはまさにその通りで、逆に言えば言葉で説明できるかどうかが、効果的なアウトプットかどうかである、とも言えそうです。

さらには、「これ、就活でもおんなじやん」と思ったのが、このくだり。
たとえば福澤諭吉について三人の人が肯定的な評価をしたとします。

Aさんは「福澤諭吉って、スゴイよね」と言います。
Bさんは「福澤諭吉って慶應義塾大学をつくった人で、スゴイよね」と言います。
Cさんは「福澤諭吉は『日本を変えてやる』と中岡慎太郎たちが騒いでいた頃、『次の時代には学問というものが必要になるだろう』と考えて慶應義塾をつくったところがスゴイよね」と言います。

三人の意見は同じですが、その信用度とクオリティは格段に違います。彼らは自分の意見を述べていますが、その意見は「福澤諭吉についての知識」という土台からなる見識です。センスのある発言をするには、正確でハイクオリティな「精度の高い知識」が欠かせないということです。
就活では、この「福沢諭吉」は「自分」です。
「自分、めっちゃスゴイんです」というAさん。
「ぼくはこんな成果を残したから、スゴイんです」というBさん。
という2人に対して、
「ぼくがこれをやったのは、周囲がこういう状況の中で、そうじゃなくてこれが必要だと思ったから、これをやったからスゴイんです」と言えるかどうか。それを言葉で、つまりは正確な情報を元にして相手を納得させられるかどうか、がポイントになるわけです。

知識が豊富な人であれば、上司やクライアントとの会話の際に相手の専門性を感じ取ったり、自分の普通に照らし合わせたり、「チューニング」がうまくできることは多々あります。チューニングがうまくいけば、理解の度合いは深まるでしょう。

そして、そうしたセンスを磨くために、どんな情報を得ていけばいいかというと、
「好き」を深掘りしてセンスあるアウトプットをする。
ことが大事だというわけです。

自分の「好き」を掘り下げていくことで、情報を深掘りしていく。
ちょっと長いけれど、引用します。
著者の好きな色は「青」。
じゃあ、それについて「なぜそれが好きか」を書いていく。
青が好きなのはたぶん、子どもの頃に放映されていたテレビ番組『秘密戦隊ゴレンジャー』のアオレンジャーが好きだったから。(中略)このプロセスで注目すべきは「青が好き」ではなくて「ゴレンジャーが好き」です。深い情報が隠れているのはここ
んで、じゃあ食品メーカー勤務の人間が、著者と同じ歳の人をターゲットにして商品開発をするときの「パッケージの色をどうするか」と考える場合、どんな思考プロセスになるか。市場調査をした結果をどう捉えるか。
「青が好きという回答が30%を超えていて一番多いな。新パッケージは青にしよう」というのは間違った判断です。それは表面的な「好き」であり、深い情報ではありません。
同じ世代で考えたら、ゴレンジャーの中のキレンジャーが「カレー好き」という設定があった。それをカレーうどんにしてみたら、同じ世代の人たちにヒットするかもしれない、と。
「青が好き」という入口から、四〇代の男性たちの多くが好きなゴレンジャーという基盤にたどり着き、「黄色」というアウトプットをする。これが「好き」の深掘りであり、数字で測れない事象を最適化するための目安なのです。
これも「ぼうけんの書」を使うことの意味と共通します。
自分が興味を持っているものを書き出してみて、それを深掘りしていく。
仮説を立てて、それらに共通するものを探していく。
職種や業界、これまでにやってきたことといった表面的な部分で判断するんじゃなくて、「その奥」「その裏」にある本質にまで深掘りしていくという作業。それこそが自分をセンス良く伝えるための言葉探しなわけです。

そして、自分が向かうべき方向性に迷ってしまう人はどんな人か、というエピソードも書かれています。
「わからないのはセンスがないせい」ではなく、「わからないのはセンスを磨く努力をしていないせい」です。
シンプルで、的を射ている。
当たり前といえば当たり前なんだけれど、この本を読んでいると「でも、どう努力すればいいのかわからない」という疑問も抱かないで済むくらいに、説明をしてくれています。

この本の言葉を拝借すると、就活だってセンスです
んで、「就活のセンス」は膨大な情報を仕入れる必要はなくて、ただ単純に自分が誰よりも知っていて、誰よりも情報をもっている自分についての情報を仕入れればいいだけなんです。
そして、それは「キャラ」をヒントにして、「ぼうけんの書」というツールを使えば、誰だってできる。

現代のヒットメーカーの言うように、「センスは知識からはじまる」わけです。
ぜひぜひ、仕事に、就活に、この本を参考にしてみるのもいいかもしれません。