宮崎駿の作品って、ちょいちょい「名前」がキーポイントになってる。
人と人がコミュニケーションをとる中で「名前を呼ぶ」ってことの意味が、随所に描かれてる。

たとえば、わかりやすいところでは、『となりのトトロ』。
森に迷い込んだメイちゃんが大きなタヌキみたいなクマみたいな生物と出会います。出会った段階では、その生物は「何者でもない」存在です。異世界に迷い込んだメイちゃんにとって、その生物が何なのかもわからない。ぼくらはストーリーを知ってるから、悪い生物じゃないことは知ってる。けれど、普通に考えたらあんな自分の何十倍の大きさの生物が目の前に現れたら、びっくりしちゃう。

そこで、メイちゃんは聞くわけです。
 
「あなたはだあれ?」

それで、その生物は何かしらの声を発して、その言葉にメイちゃんが反応する。

「トトロ! あなたトトロっていうのね!」

まさにこの瞬間に、その生物は「トトロ」になるわけです。メイちゃんに呼ばれることによって、謎の生物は「トトロ」になる。さらには、これまでメイちゃんを警戒していた中トトロと小トトロもメイちゃんに興味を示し始めて、「トトロ」との物語が始まります。
名称未設定 1のコピー

ポニョもそうです。
ポニョにはもともと「ブリュンヒルデ」っていう名前があります。
なのに、陸に上がって宗介くんに出会って、「この子、ポニョっていうんだよ!」と名前を付けられる。そこから、ポニョの「人間になりたい」という意志が生まれて、「ポニョ」としてのストーリーが始まっていく。宗介くんが、「ブリュンヒルデ」に新しい名前を付けるわけです。

『千と千尋』なんかは、まさに「名前」がそのまま「存在」を示してる。
異世界に入った千尋ちゃんが名前を奪われる。異世界における名前として「千」を与えられることで、存在を認められる。油屋の世界では千尋ちゃんもハクも、「名前を奪われる」のは「存在を奪われる」ことと同義。つまり、その世界において名前は、アイデンティティであり、自分の存在の象徴なわけです。
終盤にハクが解き放たれるのも、それまで忘れていた名前を千尋ちゃんが呼んだから。『千と千尋』は、とにかく「名前」が重要な意味を持つものとして演出されています。

まだまだあります。
『ナウシカ』だって原作のマンガ版では、ナウシカは巨神兵に名前を付けます。
それまで巨神兵は自分の力すら制御できず、自分が何をすべきかもわからない。ナウシカに対して「ママ…ママ!」とか言ってるんです。ナウシカの顔色ばかりを伺って、自分がどうすればいいのかわかってない巨神兵。
そこでナウシカが、巨神兵に「オーマ」っていう名前を付けてあげる。その瞬間に「オーマ」くんは急激に成長を始めます。いきなり「わが名はオーマ!」とかいって、急に頭が良くなって、人格まで生まれちゃう。

そうやって宮崎アニメでは、「名前」がすごく大事なモチーフとして描かれています。

でね。
ぼくが思うのは「日常生活でも同じだよなぁ」と。

ぼくは猿基地という店をやっていて接客をしているわけですが、同じ「接客」という部分で、「この人、すごいなぁ…」と思う人がいます。
それが、ぼくが顧問をしている『魔法にかかったロバ』の代表の奥さん。
ホスピタリティに溢れていて、その人のファンもたくさんいる。ぶっきらぼうなぼくにしてみたらホント「この人、すごいなぁ」と思うんです。
で、その人はお店をやっているとき、お店にお客さんが来たときに、絶対名前を呼ぶんです。店のドアが開いて、カランカランって鳴った瞬間に、名前を呼ぶ。「あ、〇〇さ~ん」とか「△△さ~ん、お久しぶりです~」って。

これ、すごいなぁ、と。
ほんの「名前を呼ぶ」という、たったそれだけのことなのに、それだけで空気を作ってる

宮崎アニメと同じです。
お店という、いわば「非日常」であり、ちょっとした「異世界」に入ってきた人に対して、名前を呼ぶことで許容する、存在を認める。
「名前」は重要なモチーフではあるのだけれど、それは別に「名前そのものがアイデンティティ」ということじゃないんです。必ずしも「自分の名前は〇〇」というが重要なのではなくて、あくまでも「人に呼ばれる」ということに意味がある

トトロは、メイちゃんに名前を「呼ばれる」。
ポニョも、宗介くんに名前を「呼ばれる」。
千尋ちゃんは、千尋と「呼ばれない」ことで存在を失いかけて、
ハクは千尋ちゃんに「呼ばれる」ことで、自分を思い出す。
オーマもナウシカに「呼ばれる」ことで、存在を確立する。

全部「呼ばれる」なんです。
「自分の名前はこう!」ではないんです。
あくまでも、人に認知される上での「名前」であり、名前を呼ぶことによって「その人を認知する、許容する」ということが表されているように思うわけですぼくは。

結婚して夫婦になって「オイ!」とか「アンタ!」とかになってみたり、子どもが生まれることで、いままでは名前で呼んでたのに「お父さん」とか「ママ」とかになってみたり。どう「呼ばれるか」によって、その人の認知のされ方、存在の認められ方って変わんじゃないかな、ということ。
友だち関係でも、恋人関係でも、自分はどう呼ばれているのか、自分はどう呼んでいるのか、それって自分にとっても相手にとっても、影響を与えていくのかもしれないな、ということをぼくは宮崎アニメを観ながら思ったりします。

自分の大事な人を、どう呼んでるか。
自分の大事な人から、どう呼ばれてるか。
そんなことを考えてみるのもいいかもしれないですよね。


いや~、気づくことが多いなぁ、宮崎作品。 

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2014-07-16