(1624字/3分/★★☆)
バスケ好きの人なら誰でも知ってる、ステフィン・カリーという選手がいます。彼の武器は3Pシュート。そのリリースの速さはもちろん、「そこから打つの!?」ってくらいにラインよりも手前で打つんです。
ただでさえNBAの3Pラインは、国際ルールよりも50cmも遠いのに、そこから更に遠くから打って、NBAの3P記録をどんどん塗り替えてる。
彼が登場してからNBAでの3Pシュートの概念が変わり、3Pラインの手前から打つ選手が増えました。何なら日本でも「和製ステフィン・カリー」と言われるような高校生が出てきました(富永啓生くん)。
んで、それとは次元も時代もちがう、大学生のときのぼくの話。
当時『ぷよぷよ』というゲーム(いわゆる落ちゲー)をやっていて、どうしても友だちに勝てない。何度対戦しても、連敗に次ぐ連敗……。
そんなとき、彼が別の友だちと対戦しているのを見て、やっとわかったんです。「あ~、こうなんや!」って。それは単なる積み方だけじゃなくて、判断や操作のスピードも含めて、自分の想像を超えるやり方。
その彼のプレイを見る前と見た後では、ぜんぜん操作が変わる。「一気に上達」どころか、そこから「覚醒」したんです。
ステフィン・カリーと、『ぷよぷよ』。
何の話かというと、
「できてる状態」が見えると、できる。
ということ。
「や、そんなの当たり前やろ」と思われるかもしれないんですが、それはたぶんちょっと違っていて。
たとえば、「できる社会人になりたい」とか「いけてる自己PRを書きたい」なんてことを考えていたとして、「それって、どれくらい鮮明に“できてる状態”が見えて~る?」と。
なので、もうちょっと細かくいうと、
「できてる状態」の解像度や実感値が高くなるほど、漠然と目の前のことを手探りでやるよりも早いし、修正できるポイントが見えやすくなるし、何より「できるはず感覚」が高くなると思うんです。
そりゃぼくだって、『ぷよぷよ』やりながら、「このへんの操作が!」とか「こんな積み方をすれば!?」は考えながらやってました。やってましたよ、必死に。
なのに、彼がプレイしているのを見て、「わお! このスピード???」、「ここでそうするの!?」を眼前にして初めて気づく。まだまだ見えてなかったんや~、って。
それこそプロ野球の世界(ましてやメジャーリーグ)での二刀流なんて、大谷翔平が出てくるまではプロの人たちですら想像してなかったし、目指すことすらなかった。携帯電話で世界の価値観を変えるなんて、ジョブズ以前の人たちは想像すらしてなかったわけです。
つまりは、「できてる状態」の解像度。
それによって、実現スピードが変わりそう。
逆にいえば、「できてない状態」に目が向くと、ブレーキがかかりやすいんじゃないか、と。
ぼくが学生や若い社会人をみていて感じるのは、なんだか「できなきゃいけないこと」や「身につけたほうがいいこと」や「これが必要だ!」みたいなことで、目の前のモグラ叩きしてな~い? ということなんす。
もしそうだったら、そりゃ疲弊しちゃいそう。
ちょいと、その想像の限界を広げてみたらどうでしょか?
それこそ古くはガリレオやアインシュタインやライト兄弟も……。
彼らは誰も想像してすらいないものを「これ!できるはず!」と考えて、誰よりも高い解像度で描いて、それを誰よりも信じていたんだと思います。
「できてる状態」が前提で、そこに向かってやっていた。
それこそジョブズやザッカーバーグやイーロン・マスクの愛読書がSF小説なのも、彼らはそこから想像力を掻き立てられて、未来のアイデアを生み出していったはずです。
いま見えてる解像度の、もうちょっと上にあるものを知る、信じる、想像する。
それがあるだけで、実現可能性が変わるはず。
相対性理論からぷよぷよまで、あらゆる場面で「できた状態」、「できてる自分」が見えているということ。目の前の情報や正しさに振り回されず、もう一段か二段上から、できてる状態の解像度、あげてみたらどうでしょう~。
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