(2341字/4分/★★☆)
忘れもしない、一昨年の秋のことでした。

大学が夏休みの間は、毎年のことながら猿基地もお客さんは少なめ。
一方で、毎週末に東京でセミナーをしていたこともあって、「よしゃ、9月はずっと東京に住んじゃえ」とマンスリーマンションを借りてた時期がありました。

そのときの楽しい思い出を書くと、さすがに導入としては長くなるので省略しつつ、本題はその頃にやりとりをしていた社会人7年目(当時)の猿基地卒業生Aっちゃん(人妻)のLINEがすげ~んですわ、という話です。


あるとき卒業生で集まって上野公園でピクニック(!?)をすることになって、彼女(人妻)からきたLINEは「13時に上野駅のここに集合して、ここで買い物してから、あそこに行って、こんな感じでやりましょう~」と。ほうほう。

んで、ぼくの東京最終日(の前日)には、「明日ちらっと会えればと思ったのですが」と連絡がきて「この時間帯なら大丈夫です。たとえば、こことかどうですか?(とスポット説明)」からの「じゃあ、この時間にここ集合でこんな感じにしましょうか」と来るわけです。
とはいえ翌日になって、ぼくはお世話になってる会社の人たちに挨拶してたら、待ち合わせ時間に遅れそうになってしまって、彼女(人妻)に連絡したら、「ここで洗濯機みてて時間つぶせるので大丈夫です。ゆるりとお越しください」で、その後ぼくが「いま電車に乗った!」と送ったら、Aっちゃん(人妻)からは数分後に「中央西改札の真ん中で待機してます!」と返ってくる。

これ、わかります?
実際のLINEはもうちょっと文量・回数は多くて、そこでぼくが感じたのは「なんちゅ~気遣いができる子なんや! しかも自然に!!」と。個人的に感動といえるくらいに「やっぱりすげ~なぁAっちゃん……!」と思ったんです。


ここに「すげぇ」を感じたのは、その一方で普段のコミュニケーションで抱いていた「違和感」の正体に気づかせてくれたからなんです。


たとえば、よくある学生(そこまで面識があるわけじゃない場合)とのLINEは、だいたいこんな感じ。

◆学:相談したいのですが、お時間ありますか?
◇光:は~い。○日以外ならいつでも~♪
◆学:何日ではどうでしょう?
◇光:はいは~い。何時くらいにしましょ?
◆学:○時でいいですか?
◇光:は~い。何分くらいで考えとけばいい?
◆学:30分くらいでお願いします!
◇光:は~い、ちなみに内容はどんな感じ?
◆学:この件につきまして相談できれば。
◇光:はいは~い。現状どんな感じです? 目を通しておいた方が良いもの、何かありますか~?
◆学:こちらになります。
◇光:は~い。これって、落としどころのイメージは?
◆学:考えておきます……。
◇光:(おい!!と思いつつ)まぁおっけーです。了解しました、よろしく~♪

って、
何回やりとりすんね~ん!!
と……。

ある程度は誇張して書いてはいるけれど、イメージとしてはこんな感じ。
※もちろん、ある程度の信用関係のある人の場合は、初手で「おっけー♪」って言ってますよ、さすがに。
これと比べて、Aっちゃん(人妻)のLINEが何かというと、受け手の判断や行動や予定の組み方をスムーズにするための配慮や提案、そのための先読みやストレスをなくすための気配りが(あくまでも自然に)盛り込まれてるんです。

世の中ではコミュニケーションスキルが大事だと言われ、上達するための本やネット記事が溢れ、方法論やテクニックがいろいろとあるけれど、Aっちゃん(人妻)のLINEを通して、ぼくは「ゆ~ても本質はひとつなんやな~」と気づかされたわけです。

つまりは、
受け取る相手への気遣い。
受け取る相手に想像力を働かせて、気持ち良い投げ方をする。しかも押し付けがましくなく、自然にできちゃうのがすごい。


んで。
多くの学生にとって、そこが抜けてしまうのってコミュニケーションツールの変化もあるのかな、と思ったんです。

「コミュニケーション」のツールはどんどん変化してきました。
1対1に限っていえば、今はLINEが代表的でありつつ、その前はメールで(ビジネスの場では現役だけど)、それ以前は電話で、もっと前はかなりの長い期間にわたって手紙の期間が続いてました。
さらに前には、というか根本的かつ本質的かつ直接的には、訪問や対面があるわけです。

誰かと連絡をとったり、誰かに相談をしたり、お願いをしたり、ちゃんとコミュニケーションをとろうとする場合、実質的な意味ではLINEでも訪問・対面でも、同じはずやん?

ツールの発達によって、物理的精神的にスピード感やハードルの低下や簡便性という部分でラクになりました。
その「ラクさ」と相手への気遣いのバランスのズレが生まれてるように思うんです。自分がラクをして、無意識のうちに相手に手間を押しつけちゃってない? それってリアルの対面でも同じ投げ方、するのかな? と。

訪問(のための手紙)の場合には当たり前にするはずの気遣い(≒物理的・時間的・精神的な労力)が、ツールの簡易性に惑わされて雑になっちゃうと、コミュニケーションの本質からズレるんじゃないかな? と。

どんどん便利なツールが生まれてきている中で、便利なフォーマットに慣れていく中でツールに乗っ取られてしまうと、コミュニケーションがダブつくことが増えちゃう可能性もありそうな気がしません?

んで、それは就活の場でもビジネスの場でも、もちろん日常生活でも同じだと思うんです。
受け取る相手の状態を想像できること、それを踏まえて発信ができることができたら、そりゃ信用は生まれるよね~、ということを、ぼくは一昨年のAっちゃん(人妻)のLINEで気づかせてもらいました。

いやはや、Aっちゃん(人妻)ほどの対人想像力を自然にできる人っておらんな~、と今でも思ってます。気づかせてくれてありがとう~。