(1902字/4分/★★☆)
学生の頃に猿基地に来てくれてた子らの中には、いまでは起業したり個人事業主として働いている人がそれなりにいて(ざっと数えて10人以上)、彼らと話すのはいつでもむちゃおもろい。
べつに事業や企画といったビジネスの話だけじゃなくて、普通に日常的なゆるい会話をしていても、刺戟を受けたりヒントをもらったり、そこから派生するアイデアやハッとする言葉があったりして、楽しいんです。
それって何でかと考えてみると、
「一問多答」だからかな、と。
何の話をしていても、ひとつのテーマが挙がったら「こうなんじゃない?」、「おれはこうだと思うな~」がありつつも、そこからさらに「こういうのもありちゃう?」、「じゃあ、これは?」って、途切れず会話が進んでく。
経営の話だろうが新コロの話だろうが、教育でも企画の話でも、何なら下世話で無意味な話題だとしても、どんどん「これはどう?」が増えていくんです。
んで。
学生や若い社会人たちも、そういう思考をしてみよう。
というか、そのへん意識してみたらどうかな、と思うわけです。
現代教育の弊害か、
もしくはネットの負の側面、
はたまた即物的な人の業……。
どうにも「一問一答」的な枠組みに縛られちゃってる感じがします。
悩みごとの相談やアイデア出しの打ち合わせとか、それこそもちろん就活での考え方でもそうなのだけれど、何かしらひとつの「答えっぽいもの」があると満足しちゃったり、してません?
自分で答えを出そうとするときも、人からアドバイスを受けるときでも、同じようにそんな意識がありそうで、「これだ!」や「それだ!」と思えるようなものがひとつ出てきたら、そこで思考が止まっちゃう。
それって、とってももったいない。
というか、それはけっこう損じゃない? と伝えたい。
つまりは、
「一問一答」からの脱却と、
「一問多答」のすすめ。
たとえば就活中の学生だと、自己PRをつくるときに1本書いてみて、誰かに「どうですか~?」、「添削してください」と言う場合があると思います。
でもね。
それを乱暴に喩えるなら、料理の素人が飲食店を始めようとして、プロの料理人or経営者に「こんな料理を出そうと思ってるけど、どうですか!?」と言ってるようなもの。
海原雄山(美味しんぼの怖いおじいちゃんね)なら、ひと口も食べずに「出直してこ~い!」のレベルです。「若造が!」とか言われる。
普通の人はそこまでじゃないまでも「ホントはもっと伝えられること/一緒に考えられることがあるのにな」と思いつつ、「塩加減が……」とか「盛り付けを……」くらいの表面的なアドバイスしかできない。
いきなり完璧な一品ができるわけがなくて、その前段階にこそ考えるポイントはたくさんあります。
そのプロセスにはいろんな可能性があって、そのプロセスのどんな要素を挙げるのか、どれを重視するかによって、「完成形の種類や方向性」はいくらでも変わります。
なのに多くの人が、「ひとつの答え」でそれなりに満足してしまっている気がするんです。
それは砂上の楼閣、視野狭窄、可能性の排除、想像力の欠乏。もったいない。
たとえば、今の時代には合わないかもしれないけれど、ぼくは会社員時代に「企画でもコピーでも、とりあえず100個のアイデアを出せるくらいに考えろ」と言われて、(毎日いつもじゃないけれど)それをやってきたのは、今でも役に立ってるな~と実感してます。
人の相談に乗るときも、何かを投げかけられたらまずは20個くらいのアイデアの要素を思い浮かべて、そこから取捨選択をしてみたり、思考を広げたり、表現を考えたり、必要な情報を聞いたりする。
一問一答なんて、むしろむずかしい……!
「渾身の逸品!」は、たくさんの要素が組み上がってできるもの。
だからこそ、どんなに小さいことでも「一問多答」を習慣にしておくと、より正解に近づけると思うんです。
ひとつの答え(らしきもの)が見つかったとして、そこからもう一歩、違う言葉にしてみたらどうなるかな、この土台で考えてたけど他の可能性はないかな、誰にはヒットして誰には響かない可能性があるかな……。って、違う答えも探してみる。
一般的平均的な時代感には合わないかもしれないけれど、何かを考えようとするときに「少なくとも3つ、できれば50、理想は100」くらいの「答え候補」を考えるイメージでやってみるのもいいかもしれませんよ~。
と、まあいろいろ書いたんですが、ただただ単純に、
「いろんな選択肢を考えられるほうが、人生楽しいこと増えるよん♪」
ということなんす。一問一答で済ませちゃうのは、もったいない。
さあ、可能性は無限大だ!
とりあえずは「3つの正解らしきもの」を考えていきましょ~う♪
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