(1981字/3分/★★☆)
昨日の記事にも関連するのだけれど、ゆ~ても学生が「業界研究」とか「仕事研究」なんてやっても、そんなに意味がないんですよね。

理由は大きく3つあって、
ひとつは、
「たかだか学生が知れる情報なんて、うす皮一枚くらいでしかない」
ということ。
それこそ一応ぼくも経済学部だったし、それなりに社会や企業の勉強・研究はしていたつもりだったけれど、いったん社会に出てみたら、そこでわかってたつもりになっていたことが、ぜ~んぜん薄っぺらい表面的なことだったと気づきました。気づかされました。たいして何もわかってない。それどころか、これまで調べてたことなんて、ほとんど仕事の役には立たないわけです。
そりゃもちろん、そういう作業をする中で磨くことができたスキルや考え方は、それなりに役に立ったことはあるかもしれません。

ただ、知識や情報そのものは、ホントにたいした役に立たない。それなりに4年間、本も読んだし、新聞や経済誌も読んだ。企業に見学も行ったし、論文も書きました。
ぼくのやり方がダメダメだっただけかもしれないけれど、4年間やってても、社会に出てからその知識や情報が役に立ったと実感できたことは、まず思い出せません。
ましてや今の学生が、就活だからといって付け焼刃的に「研究!」をしたからといって、やっぱり役に立つとは思えません。たぶんね。

んで、ふたつめが、
「特定の狭い“業界や仕事”を見ても、社会はほとんどわからない」
ということです。
それこそ学生が就活を始めて、なんとなく興味をもったからといって特定の2つや3つの業界のことを「研究」しても、それってむしろ「思い込み」の温床にしかならない可能性が高そう。
表面的に「ちょっと興味があるから」、「有名だから」というだけで、変に業界を絞って知識の収集だけをしようとすると、それこそ「企業のマヌーサ」にかかる危険性が急激に高まるわけです。

「二重まぶたの人が好き!」なんて言って、まぶただけを見て評価を下すようなもの。そこにはもっと口元やらホクロの位置やら眉毛の形やら、さらには表情のつくり方やら胸部のサイズやら筋量や脂肪量の違いもある。そもそも外見どころか、性格や行動や関係性のほうが大事じゃない? というほどに評価軸はたくさんあるはずです。
なのに、特定の企業や仕事ばかりを「研究」して、その情報だけで好みを判断するのって、どうにもあまりにも狭すぎる気がしません……?

社会の全体像がわかるはずがないにしても、そもそも「どれくらい広いのか」、「自分が知ってる世界がどれくらい狭いのか」が見えないままで、視野を狭めるのってホントもったいないこときわまりないです。

んで、みっつめ。
何よりもこれが大事で、これこそが今回いちばん伝えたいことです。
「どれだけ過去や現在の情報を押さえても、いちばん大事なのは未来のこと」
という話なんです。

多くの場合で学生たちが「研究」するのって、現在に至るまでの過去のことです。
その会社がどんな商品・サービスを扱っているのか、マーケットにおける立場はどうなのか、働いている人たちの仕事の内容や、場合によっては社長の名前とか売上まで覚えようとする人もいるみたい。

でもですね。
これから50年間は働いていくことになる中で、さらにはこれだけ社会の変化の真っ只中にある中で、過去のことって優先順位が高くないし、それどころかむしろ余計な思い込みを生み出しかねない。
それこそ過去の話で例えるのは変な話なのだけれど、蒸気機関が生まれたのに馬車の研究をしてみたり、明治維新が起きたのに剣術に身を捧げようとしたり、航空機が戦争に使われるようになってるのに巨大戦艦を造ってみたり、って「ちゃんと変化を見なくっちゃ!」ってアドバイスをしたくなりません?
それと同じです。

いまは世の中ぜんぶがグワーっと変化してる時代。日本国内だけじゃなく、世界を巻き込んでどんどん変化している時代なんです。
そういう状況の中で、少数の特定企業の、過去の知識や情報を、薄~く知ったからといって、あんまり参考になりません。

そういう意味で、ぼくは
業界研究より「社会の変化」を感じる
ことのほうがよっぽど大事だと考えています。

変化の感度を磨くこと。
変化へのアンテナを立てること。
昭和の感覚から抜け出すこと。
「これからどうなるか?」を想像すること。
そりゃもちろん、いきなりわかるわけじゃありません。専門家だって、いつ頃どうなるかなんて正確に予測できるわけでもありません。ただ少なくとも、過去の情報収集をするよりも、変化を感じるほうがよっぽど意味があります。

それこそ「業界を絞って、研究しましょう」なんて、過去のやり方です。
ぜひぜひ何とぞ、変な就活の常識に縛られず、変化についていける人に(できれば変化を生み出せる人に)なってくださいね~。