先日の『千と千尋』の記事がけっこう反応が良くて嬉しいのですが、実はあの記事には『千と千尋』の面白さを伝えるということ以外に、もうひとつぼくなりのメッセージがありました。

それは、「読み取る楽しさ」を伝えたかったんです。

千と千尋にかぎらず宮崎アニメはどれもそうだし、ガンダムもそうなんだけれど、ぼくはメッセージを「勝手に読み取る」のが好きなんです。アニメの中に隠されたヒントを探して、自分なりに解釈してみる。その視点でもう一度見てみて、それに該当する箇所を見つける。さらに、そこで見つけたヒントを加味した上で、また解釈してみる。

「もしかしたら、これにも意味があるのかな?」
「あれ? これってどういうこと?」
「このシーンは、あの映画のオマージュかな」
「ここでこのカットを入れる意味って何だろう?」

そういうことを考えながら、鑑賞する。
アニメだけじゃなくて、マンガや音楽もそうです。

ネット上には、「都市伝説」とか「裏設定」、「〇〇に隠された秘密」なんかが溢れています。
でもね、そういうのはどうでもいいんです。
だって、それだとただの答え合わせでしょ?
「あーホントだ~」とか「そういう意味なのか~」って。

ぼくがやってて楽しいのは、自分で意味を見つけること。自分で解釈すること。
もちろんその密度を高めるために、ネットの情報や書籍を読んだりはします。
でも、それだけで終わったら面白くない。それをベースにして、自分なりに読み取っていくのが、ぼくにとっては何よりの娯楽。
娯楽であり、仕事や日常生活にもつながっていく練習なんです。

答え合わせに慣れると、答えありきの考え方が癖になっちゃう。
仕事も日常生活も答えのないことばかりなのに、答え探しが癖になると、「どこかにある答えを探して~♪」みたいなJ-POPみたいな状態になっちゃうんです。

作家の本来の意図やメッセージなんてどうでもいい、とまでは言わないけれど、メッセージをそのまま受け取ることよりも、自分が「どう読み取るか」のほうが面白いです。
友だち同士のコミュニケーションなら、「ちゃんと受け取る」ことはすごく大事なこと。だけど、映画や音楽、マンガの場合では、「正しく受け取る」ことよりも、「自分なりに読み取る」ほうが、よっぽど役に立つし、絶対的に面白いんですよね。

ぼくの大好きな、というか心の師匠と崇めている開高健という作家がいます。
その人の言葉。
事実はひとつ。解釈は無限。
そうなんです。解釈は無限。
これって特別なことではなくて、日常生活でもよくあること。

たとえば、森に行く。
このときに「昔は地元の森でよく遊んだなぁ…」と思う人もいれば、「都会の空気とはやっぱり違うね」と思うこともある。場合によっては、「誰かが森林伐採を止めなければ、温暖化が…!」と危機意識を持つかもしれないし、「もののけ姫の時代の森は、これとは違うんだよな」と考えることだってできる。
ただの森を見ただけで、それだけの受け取り方があるわけです。

それと同じなんです。
「自分にとっての意味」を読み取る。解釈する。
森には正解があるわけではないし、「作家の意図」なんてありません。
いや…もしかしたら「神さまがくれた森が…」なんてのはあるかもしれないけれど。
同じように、世の中にも解釈に正解はありません。

もちろん「アニメやマンガなんて、そんなことを考えないで見るから面白いんじゃん」という感覚もわかります。それはそれでいいんです。そうやって見る映画もあるし、そうやって見たいときもある。
ただ、アニメやマンガや音楽でこういう見方をしてみると、より深く、より豊かに楽しめる。
そして、この読み取る力が上がっていくと、人生そのものだってもっと楽しくなります。

日常生活で経験することに「意味」を見出す。
「意味」ってのは、そのまま「価値」と言ってもいいはずです。

自分がこの仕事をしている意味はなんだろう。
自分がこの生活をしている意味はなんだろう。
そういうことに、いろんな視点から光を当てて、自分なりの答えを導き出せるようになると、そりゃ人生は楽しくなります。

ま、アニメやドラマを見ながらこんなことばかり言って面倒くさがられることも多いんですけど。