人はなにかと比べたがる。
身長がいくつだとか、持ってる遊戯王カードの枚数だとか、友だちの数だとかなんだとか。小さいころのそんな比べっこならかわいいものだけれど、それは大人になってもまだ続きます。年収がいくらだとか、今までに付き合った人の数だとか、人脈だとかフェラーリだとかレクサスだとかランボルギーニとかポルチーニとか。
まあ、それが原動力になってがんばれるなら、人と比べ続けて生きればいいとは思うんです。それで幸せになるなら、それは素晴らしいことだとも思います。
ただ、個人的にはそうやって人と比べて一喜一憂するのって、なんだか疲れちゃいません? と思っちゃう。誰とどこまで競争するつもりなの? って。勝てば勝つほど、比べる相手も強くなる。まるでジャンプの敵インフレ状態。
たとえば、ぼくが同い年の有名人と比べたとしましょう。
中田英寿や香取慎吾、劇団ひとり、山本キッド、猫ひろし、氷川きよし、市川海老蔵、山里亮太。
海外まで含めたら、メイウェザーもビンス・カーターもパク・ヨンハも同い年。
このへん全員、同い年。
で、「同い年でもこんなに有名人がいるのに、おれは……」
なんて、考えても仕方がないわけです。
「おれも市川家に生まれていたら…!!」とか「おれもジャニーズに入ってたら今ごろは!」とか考えたって意味がない。それを羨むなら「おれもメイウェザーみたいに、麻薬の売人の息子に生まれていたら……!」の可能性も考えなくちゃいけない。西麻布でボコボコにされちゃう可能性だってあります。
そもそも生まれ育った環境が違って、そもそも目指しているものが違って、これまで過ごしてきたこと、やってきたことも違うわけです。
有名人どころか、小学校や中学校の同級生とも、大学や会社の同期とも比べたって、そんなに大して意味がない。自分以外の他人なんて、自分とは何もかもが違うわけですから。
他人と比べたって、何も意味がありません。
だから、「パラレルワールドの自分」と比べよう、と。
自分と同じ生年月日で、同じ両親から生まれて、同じ環境で育ってきた、別の自分。
ここまで生きてくる中で、ぼくらはいろんな判断をして、現時点の自分がいます。
ただ、それらの判断が少し違っただけで、もしかしたら「別の人生」があったかもしれません。
高校時代に「美大に行きたい」と思っていた自分もいました。もし、そっちの判断をしていたら? 和家具職人になりたかった自分、あの子と別れなかった自分、逆にあの子と付き合っていなかった自分、バスケ部じゃなくて卓球部に入っていたとしたら? 会社を辞めずにずっと働いているとしたら? 小沢健二に出会ってなかったとしたら? ブログをやらずに別のことをしていたとしたら?
人生にはいろんな区切りや出会いがあって、そこでの判断や行動が積み重なっていまの自分があるわけです。ぼくはその「別に存在したかもしれない自分」と比べたほうが、よっぽど健全で、リアルで、自分の怠惰や工夫が見えやすいと思うんです。
だから、ぼくにとって比べるべきライバルは、「人生を通して常に“正解”を選び続けた自分」、パラレルワールドにいる自分なんです。そこに負けないように、そこよりも満足している自分でいること。
そのためにはやっぱり、自分の「利益」と「リソース」を把握しておく。
そして、ちゃんと毎日タイムリープをして、もっと上手にできるようになる。
ぼくがいま目指しているのは、「ちょっと変わった視点とアイデアで、人の人生をちょっとだけ良い方向に変える。主に就活や仕事の分野で」という方向性です。
んで、それで比べたら、ぼくは香取慎吾にも市川海老蔵にも、あのメイウェザーにさえも、よゆ~で勝ってます(たぶん)。
ただ、もしかしたらパラレルワールドの自分には負けてるかもしれない。あっち側にいる「ベストの選択をした自分」と比べて、ちゃんと自信をもって「勝ってる。圧勝に決まってるやん」と言えるように、過ごしていけるように、がんばらないかんな~と思っております日々。
さ、あなたの「パラレルワールドの自分」は何やってます?
その人にちゃんと勝ってます?
一緒にレベルアップしていきましょ~う♪
楽しく、気持ち良く、適当に!!
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