猿基地ではよく話しているのに、ブログでは書いていなかったな~、という話はけっこうあって、その一つに「キャラ別、刺戟法」というのがあります。

常々ぼくは、「キャラは占いじゃない」し、「適性テストでもないよ」といっていて、同時に世の分類法みたいなものとは決定的に違う(とぼくが考えている)のは、「勝手に人のキャラを想像できる」という点にあります。
SPIであれ、キャリパーであれ、エニアグラムやエゴグラム、ストレングスファインダーやMBTI、さらには星座占いや四柱推命、動物占いだとしても、ほとんどのそういう分類法的なものって、他者のことまでは判断しにくい。

「あ~、おうし座っぽいよね」とか、
「SPIなら、この型かもね~」とか、
「たしかに狼っぽいわ~」って、わかります?

よっぽど自分以外のタイプを勉強しないかぎり(したとしても)、判断するのはむずかしい。専門で勉強していたって、行動をみただけじゃわかりにくい。
サイバーエージェントの人事責任者の曽山さんは、エニアグラムで考えたりするみたいですが(『活躍する人のセオリー』に書いてあった)、それってよっぽど人に興味をもって、責任と知識と経験と意欲があるからできること。
基本的にはどれもだいたい判断プロセスがブラックボックスになっていて、テストを受けてみてやっと「あなたのタイプはこれです」って出てきます。
自分の診断内容ですら「う~ん、そういうのもあるかもなぁ」とか「や、ここはちょっとちゃうわ~」とか言ったりするくらいなので、他者を判断するなんてそもそも各タイプも理解していなければ、それを判断するアルゴリズムももっていない。

その点、キャラは何となくで決められる。
それこそ猿基地でも、よく「あ~戦士っぽいよね」とか「え~、あんまり旅芸人っぽくないやん」とか「わ! でた! そういうところが魔法使い(笑)」なんて言ったりして、勝手に相手のキャラをイメージできて、自分以外のキャラを判断できる。

んで。
だからこそ。
人によって対応を変えることもできるし、その人の感情や行動を動かす方法がわかりやすいのがキャラだよね、というのが今日の本題です。

キャラの利点は、「自分とは違う人の欲求・感情をわかることができる(可能性が高い)」ことにあると思っています。
んで、それがわかるからこそ、自分と他人は違うことがわかり、違うことがわかっているからこそ、自分とは違う欲求で動いていることがわかる、からこそ、自分とは違う刺戟で動きうることもわかる可能性が高い、ということなんです。



たとえばぼくは、前職で新人だった頃に、上司から「お前は同期に負けて悔しくないんか!?」と言われたり、別の上司からは「それは本当に、みつしろが考え尽くした、お客さんの役に立つ提案なの?」と言われたりしていました。

とってもお世話になった上司だし、今でも本当に大好きな先輩です。
けれど、その先輩たちから、そう言われたぼくはどうにもがんばれない……。
「負けて悔しくないんか!?」と言われても、別に……悔しくない。
「考え尽くした提案か」と言われたら、……そこまで優先してるわけじゃない。

勝ち負けで仕事をしてるわけじゃないし、そこまで心から理想を追いかけてるわけでもないんです。
当時は「悔しいです!」とか「もっと考えます!」とか言っていたけれど、それで自分としてがんばれている気もしないわけです。だって、本当の自分の気持ちでやってることじゃないから。

ぼくは、「これってどういう仕組みなんだろ?」とか「こういう傾向がありそうな気がする……!」とか、「あえてセオリーを外すことで成功確率あがるかも!」を考えるのが楽しい。そこで「負けて悔しい!」からがんばるとか、「心底お客さんのために」を求められたりしても、それはぼくががんばる理由にはなりにくい。

しゃ~ないんです。
だって、そういう欲求がないんですもん。

あのとき、ぼくがキャラを知っていれば、「悔しいです!」とか「もっとお客さんに向き合います!」とかにならずに済んだ、とも思います。

逆に言えば、当人のキャラがわかっていたら、刺戟の仕方もかわるよね、と。
しかも、それってキャラで考えるとわかりやすくなりそうじゃないですか、と。

発明家のぼくからしたら、「なんでわからないことに疑問を感じないのん!?」と思うけれど、世の中の人たちがみんなそういう欲求で生きてるわけじゃないことを、「キャラ」を知っているからこそわかることができます。

ここからやっと本題です。

つまりは、キャラによって、当人を鼓舞する言葉の投げかけ方って、変わるよね。変えたほうがいいかもね、という話。


たとえばお願いをするとき。

友好種族には、「もうホント、お前しか頼れる人がおらへんね~ん! いや、マジで○○君やったらどうにかしてくれると思って、ホント一生の恩にきるから! どうにかお願いできたら……!」って言うと、彼らは渋々(なのか喜んでなのかは別として)受け入れてくれやすい。
格闘種族なら、「や、けっこう難しいことだと思うし、できないんだったらいいんだけれど、もしできたら……や、ぜんぜん無理にとは言わないし、難しいようだったら他のあいつに任せるし、あいつならできると思ってるから、やっぱり無理だし、まだできないよね。や、ええねんええねん、あいつに頼むから」って言ったら、「ふぬ~!! やったるわい!」って言ってくれる。
研究種族は、「う~ん、これってこうなるはずなんだけれど、どうにもうまくいかへんねんな~」、「データはあるんだけど、どうやったらええんやろ……」とか言ったら、「なになに? ちょっと見せてもらっていい?」とか言って食いついてきます。パズル解きたい、おれなら解ける! みたいな感じで。ぼくがそうです。
求道種族の人には、好きにやらせてナンボ。「なんか、好きにやっていいらしいよ?」とか「ちょっと変わった感じの打ち出しかたができたらさ」と言うと、(彼らはそれなりにむずかしいものの)ちゃんとアプローチがハマったら、彼らなりにワクワクしながら取り組んでくれる。

そうやって、キャラや種族がわかると、お願いの仕方も変わる。彼らをモチベートする投げかけ方も変わるわけです。
そういうのができるのが、キャラ。
他者を「自分とは違う人」という前提でもって、それを判断し、彼らが気持ち良く動けるアプローチの仕方までも考えられるのが、キャラの面白さだと、ぼくは考えています。

孫さん(2500年前くらいの人のほう)が言うとおり、「彼を知り己を知れば百戦殆ふからず」なんです。んで、そんな「彼」を理解するヒントが、8キャラです。

多くの人が、自分とは違う他者を知り、みんなが楽しくすごすかかわり方ができますよ~に!!