『千と千尋の神隠し』って、本当にとてつもない映画。
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みつしろ映画歴においても燦然と輝く金字塔。素晴らしすぎる。ファンタジーの皮をかぶっていながら、実は社会の本質を描く、とんでもない映画です。

そりゃもちろんアカデミー賞だとか、美術や音楽、ストーリーの凄さについては言うまでもありません。でも、それ以上にぼくが「この映画が凄い!」と思うのは、なんといってもこの映画から読み取れるメッセージ。
就活を視野に入れている大学生、春から働きはじめる大学生、そして入社3年目くらいまでの若手社会人、ぜひこの映画を今一度、見なおしてみてほしいんです。

この『千と千尋』のメッセージって、
人は仕事で成長する
ということ。

もうこの1点に尽きます。
「人」というのは、もちろん主人公の「千」こと「千尋ちゃん」。
翻っては、この映画を観るぼくたちのことです。
「仕事」は、油屋での仕事です。ぼくたちにとっては普段の仕事のこと。

それなら、「成長」は何か。

これがこの映画のポイントであり、現実のぼくらが社会で生きる上でとても大切なポイント。

つまり成長とは、
「もらう人」から「与える人」になる。
そして、「自分の意志で動く人」になる。
ということです。

んで、この『千と千尋』は、これがとてもスムーズに、そしてもちろん感動的に描いている映画。だからこそ、ぼくにとってこの映画は「生涯ナンバーワン」だし、多くの学生や若手社会人に「もう一度観て、このメッセージを受け取って!」と、声を大にして言いたいわけです。

そもそもこの映画のモチーフは、やっぱりどう考えても水商売。
水商売というか、率直に言ってしまえば風俗業界。
プロデューサーの鈴木敏夫さんも、著書『仕事道楽』で言っています。

宮さんがいつになくしんみりと、ぼくにこう言った。「きっかけは鈴木さんのキャバクラの話だったよね」。(中略)それが『千と千尋』のモチーフになった(中略)それがイメージの核になっていったというわけです。

これ、「キャバクラ」って、絶対にウソですよね(笑)
書籍として出す上で、ジブリの立ち位置を考えた上でボカしてるだけで…。
だって油屋(=湯屋)って言ったら…そりゃ、ねぇ?

まぁ、そこの追及はいいとして。
映画の序盤では、とにかく「仕事」というキーワードが出てきます。
夜が来て、千尋ちゃんが異世界に迷い込んだことに気づいてからの20分間で、仕事や社会的マナーの話ばっかり。

ここでは仕事を持たない者は、湯婆婆に動物にされてしまう。(ハク)
手ぇ出すなら終いまでやれ!(釜爺)
働かなきゃな、こいつらの魔法は消えちまうんだ!(釜爺)
アンタねぇ、「はい」とか「お世話になります」とか言えないの!?(リン)
アンタ、釜爺にお礼言ったの? 世話になったんだろ。(リン)
ノックもしないのかい!?(湯婆婆)
でもまぁ、よくここまでやってきたよ。誰かが親切に世話を焼いたんだろう。(湯婆婆)

千尋ちゃんが迷い込んだ世界は幻想的かつ非現実の世界ではあるけれど、それは「社会」である、と。映画の前半で、しつこいくらいに「この映画は、“仕事”がテーマなんだよ」と説明している。その中で、千尋ちゃんは「まだ仕事もマナーもできない子」として描かれているわけです。


一方で、そんな千尋ちゃんを取り巻く登場人物。
釜爺とリンさんは、「理解ある上司」。
そしてカオナシと、湯婆婆の息子の坊ちゃんがいる。
この「仕事」とは無関係の立場にいるふたりが、仕事を通して成長していく千尋ちゃんを引き立たせていくわけです。

カオナシは「コミュ障のストーカー」です。
好きな子とロクにコミュニケーションもとれず、お金と力を手にしたら気が大きくなる。千尋ちゃんには「寂しい…寂しい…」と言って、フラれたら人の目を気にして逆ギレする。フツーに風俗店のお客さんにもいそうです。

んで、坊は「引きこもり」です。
外の世界を怖がって仕事もせず、過保護でお金持ちのお母さんに可愛がられて、欲しいものは何でも与えられる。「できない自分」を装って、いつまでも大人にならない。その割に、自分よりも弱い千尋ちゃんには内弁慶。これまた現実にもたくさんいそう。

そんなふたりについて、成長していく千尋ちゃんは言います。
 
カオナシには、「あの人、油屋(キャバクラ)にいるからいけないの。」
坊には、「こんなトコ(室内ばかり)にいたほうが病気になるよ。」

つまり、仕事をしようよ、外に出ようよ、もっと人とコミュニケーションをとろううよ、と仕事をしている人間からしてみれば、ごく真っ当なことを言う千尋ちゃん。


映画を通して、千尋ちゃんのスタンスは、どんどん変わっていきます。

最初に描かれていたのは、「もらう人」としての千尋ちゃんでした。
引っ越し中の車の中で、友だちからもらった花束を手にして、
「初めてもらった花束がお別れの花束なんて」とか
「1本じゃ花束って言えないわ」とか言ってる。
完全に「もらう」だけの人。消費者としての千尋ちゃん。

そこから、仕事を通して「与える人」としての千尋ちゃんになっていく。
叱られながら雑巾がけをするし、いじめみたいに湯船磨きの仕事を任されてもちゃんとこなす。さらには、ドロドロのオクサレさまにも対応することで、周囲の評価を獲得していきます。あの湯婆婆をして「みんなも千を見習いな!」とまで言わしめるまでの成果を出す。
まさに「仕事」を通して、人に「与える」人間に成長している。 

でもまだ、この時点では「求められるものに応えてる」だけなんですよね。
自分の意志で動いてるわけじゃない。

そこから変貌したカオナシとのやりとりもあり、坊との押し問答もあり、さらにはハクの危機もあり、そんな経験を経て、さらに変わっていく千尋ちゃん。
自分を助けてくれたハク、自分に与えてくれたハクに恩を返すために、「私、ハクを助けたい!」と宣言して動き出す。宴会場で迫ってくるカオナシに、「私がほしいものは、あなたには絶対出せない」と言い切る千尋ちゃん。
そうして成長していく千尋ちゃんは、「自分の意志で動く」ようになっているんです。もう花束もらうだけの人じゃない。求めるだけの人じゃない。

そうやって成長した千尋ちゃんは、いつの間にかちゃんとした人になっています。

銭婆のところで、初めて出会ったランタン(人ですらない)に会釈もできちゃう。
家に入るときだって、自然に「失礼します!」なんて言ってる。
そして、ハンコを返すときの「ごめんなさい」の潔さ。

もう、リンさんに「はいとかお世話になりますとか言えないの!?」なんて言われていた頃がウソのように、ちゃんとした人になっているわけです。ってか、それ言われてたのって、実は2日前の話です(笑)


こうやって、この『千と千尋』は仕事を通した千尋ちゃんの成長を描いている。
しかもですね、さらに何が興味深いかと言ったら、映画全体を通して何によって千尋ちゃんは変わっていったのか、という部分。ここまで成長成長と書いてきましたが、

千尋ちゃんは、何も変わってない。

のが凄いわけです。
普通、こうしたアニメで「成長」を描くとしたら、悟空がかめはめ波を使えるようになったり超サイヤ人になれるようになったり、ルフィ君がギア2だとかギア3だとかを習得するみたいに、何かしらの能力の底上げによって「成長」を描くわけです。

なのに、別に千尋ちゃんにそんな事態は起きていない。
「雑巾がけのスピードが3倍に!」とか「ハクと一緒に空を飛べる能力を!」なんてことにはなっていないんです。

それなのに成長をする。
つまり、ちょっと意識をするだけで、人は変われるよ、と。
もともとそれができるはずじゃん。
それをちゃんと活かしていないだけじゃん、
と。
しかもたった3日で!(笑)
そういうメッセージだって読み取れる。
 
なんて素晴らしい映画。
ファンタジーの皮をかぶった社会派映画。

これ以外にも、仕事や社会といったモチーフがふんだんに盛り込まれているのが、『千と千尋の神隠し』という映画なんです。それを観ているぼくらは、社会を知り、仕事の価値を知り、人との信頼関係を知る。そんな脅威の映画。

もしあなたが、この映画を「千尋ちゃんとハク、千尋ちゃんと両親のちょっといい話」みたいな視点で観ていたとしたら、ぜひこの「人は仕事で成長する」の視点で、もう一回観直してみてください。
仕事や就活に活かせるヒントが、いっぱい散りばめられていますよ。

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