志望動機もそうだし、これから先のことを考える上で、「やりたい」や「できる」を考えたりアピールしたりするのは「童貞メンタリティ」である、という話はブログにも本にも書いたので、このブログを読んでくれている人はそのへんは気をつけてくれていると思います。
また一方で、あしたから情報解禁ということで、いよいよ就活も始まりますね、なんて話もあります(茶番)。それで、志望業界を考えたり、どんな会社を受けようかな、と考えたりしていると思うのですが、そのときにちょっと意識してみてほしいことを書いてみます。
何かというと、これから社会に出て「やりたいこと」とか「こんな仕事がしたいなぁ」って考えたりするときに、ちょっと違う視点をもってみてほしいんです。
それは、
「社会人として、これからいつまでに、何ができるようになりたい?」
ということ。
そりゃもちろん、まだまだ社会のことや仕事のことはほとんど知らないとは思います。
だけど、それでもやっぱりこの視点でも一度や数度は考えてみてほしいんです。
これ、どういうことかというと、それこそ多くの学生は会社や仕事の情報を見たり、いろんな社会人と出会ったりして、「あ~おもしろそう」とか「やってみたいなぁ」もしくは「これは違うかな~」と感じたりします。
ただ、そのときに考えていることって、視点がちょっと「仕事寄り」になっちゃうんです。
それこそ「企業のマヌーサ」にかかった状態。その仕事ありき、その企業ありきで、「そんな仕事ができたらいいな~できるかな~♪」って幻惑されちゃってる。
「業界を絞って就活」している学生なんて、なおのことそんな状態になってるはずです。
たしかに、まずはそういう仕事に出合えたら、それはそれでいいことです。
でもね、ちょっと考えてみてください。
そんな仕事をしている会社がある。そこに魅力を感じました。それはそれでおっけー。
ただ、そこでちょっと現実を振り返ってほしいんです。
や、ダメ出しをしているわけではぜんぜんなくて、ただただ現実の話ですよ?
別に学生のみなさんを困らせたり、不安にさせたいわけじゃないんですよ?
そういう意味ではないんですが、単純に現実的に考えたら、「その仕事、すぐにできるはずないやん?」と。現段階での学生レベルの経験や能力ではできるはずがなくて、じゃあ「いつごろにできるつもりでおるのん?」と、そういう話なわけです。
そうなんです。
「やりたい仕事」があったとして、そこと今の自分の間には、まだまだ大きな差分がある。
ということを、ちょっと冷静になってみるのも大事です。
繰り返しますが、ホント「お前ら程度に」みたいな話ではぜんぜんないですよ。変な捉え方はしないでくださいね。
んで、だからこそ。
その仕事は、いつまでにできるようになりたいの? と。
それはつまり、そういう会社や仕事に出合っていない人でも、考えておいたほうがいいし、考えてみる価値のあるところだと思っています。もちろん、いま社会に出て働いている人でもそうです。
これって「やりたい」とはぜんぜん違う視点です。
何が「できるように」なりたいのか。
たとえば、「コンサルをしたい」なら、何ができるようになりたいんだろう?
「テレビ業界で働きたい」なら、何ができるようになったらいいんだろう?
業界なんて関係なく、自分は「何ができるようになりたい」んですか?
と、そういう考え方、そういう視点。
それこそ、社会に出て「やりたいこと」はなくても、「できるようになりたいこと」はありそうな気がしません?
んで、それが見つけられれば、それが「できるようになる」環境を探してみたら、良さそうな気がしませんか?
んで、この「やりたい」と「できるようになる」には、ぼくがいっつも言っている、むちゃくちゃ大事な話が含まれています。
それこそ「やりたい」は自分の話、自分の欲求でしかない。
一方で、「できるようになる」を考えると、けっこうな確率で他者の存在を意識する必要が生まれてくると思うんです。だって社会人として、何かが「できるようになる」というのは、それはどこかで誰かの役に立つということです。
あとは、この話の流れで書いておくと、よく(女子学生に多いけれど)「家族の近くにいてあげたい」と地元就職を考えたり、それこそ「結婚して子どもを生んでからも復帰したい」というのもそうだと思うんです。
「家族のそばにいてあげたい」と考えるのって、とっても素敵なことです。
ただ、「それって卒業してすぐに?」と思っちゃう部分はあります。
ちょっと不謹慎な言い方に聞こえる人もいるかもしれないけれど、ゆ~てもそんなすぐにどうにかなってしまう状態の家族だったらそうだとは思うんですが、そんなにすぐに介護が必要とか、死が近づいているという人ばかりじゃないと思うんです。
そういう意味で、地元に縛られるとか今から結婚や子育てを考えるよりも、「じゃあ、それはいつまでで、そのときまでには何が“できるように”なっていればいいんだろう?」と考えたほうが、可能性が広がりそうな気がしませんか?
もちろん学生だけの話じゃなくて、社会人も同じです。
極端な例で言えば「40歳で悠々自適のアーリーリタイア生活が“したい”」なら、何ができるようになればいいんでしょう? そこまでじゃないにしても、そういう「できるようになる」ことに目を向けたほうが、ぼくは健全かつ効果的な動きができると思ってます。
学生も社会人も、たくさんの人がいろんなことを「できるように」なりますよ~に!!
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