結論から書くと、
教養とは、「果実を育てる土壌」である
んで、「果実にこそ価値がある」
という話です。

これで「ああ! 確かに!」とわかったら、先の文章は読んでもらう必要はないけれど、「意味わからん」場合は、ちょっと読んでもらったら役に立つ可能性があるかもしれない内容のつもりなので、読んでくれたらうれしいです。

というのも、
「あの人は教養がある」とか、
「教養をつけなくちゃ」とか、
そんな言葉が飛び交う昨今。

そもそも「教養」って何だろう。何でしょう?

どうやったら教養はつけられるのか。教養がないと損するのか。
学生と話していて「親に教養を感じないから、ちゃんと身につけなくちゃと思って」なんて話題になったり、卒業生が「教養をつけるために、この本を読みます!」と言っていたりして、「ううむ、たしかに教養って何だろう」と考えるきっかけがありました。

辞書で調べりゃ、そりゃ出てきます。
・社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。(大辞林)
・精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。(ブリタニカ国際大百科事典)
・一般に人格的な生活を向上させるための知・情・意の修練,つまり,たんなる学殖多識,専門家的職業生活のほかに一定の文化理想に応じた精神的能力の全面的開発,洗練を意味する。(世界大百科事典 )
う~ん、わかりにくい……。

ライフネットの創業者であり、この春から立命APUの総長になる出口さんも『本物の教養』という本を出しているし、池上さんは『おとなの教養』という本で宗教や宇宙、歴史や経済学など7つを挙げています。落合陽一さんは「これからの時代は教養だけあっても価値がない」と言い、NewsPicksの佐々木さんは「安全保障、国際政治、哲学の分野を深く語れる」かどうかと言っている。
あとは、ぼくの記憶が定かなら大前研一は「近年の経営者の間では“教養”は文学や哲学・音楽よりも、リアルタイムに起きていることをネットでキャッチできるかどうか」みたいなことを言っていました。

考えるほどにわからなくなる「教養」……。
何があれば「教養がある」と言えるんだろう。

シェイクスピアを読んでなくちゃ教養がない? ドストエフスキー、トルストイ? JSミル? カント? それとも紫式部? 川端康成に福沢諭吉? 聖書は読んでおいたほうがいいのかな。モーツァルトやマーラー、もしくはコルトレーン? じゃあ、ジョアンやジョビンは? 流体力学? 超ヒモ理論? 文学、音楽、物理学……? それとも歴史?

どれもなんだか気が遠くなりそうな話です。
「教養」とは、かくも質量と蓄積が求められるのか、と。


や、たしかに教養のあるなしは、質量と蓄積は大事かもしれません。

でもね。
ぼくはちょっと違うように考えています。

というのも、人が「教養」について語るとき、それはおそらく「知識量」の話をしているわけじゃありません。何を知ってて、何を知らないか。「教養ある人間」として、何を知っておくべきで何を知らなかったらダメなのか、って話ではないと思うわけです。

「教養」って、たぶんおそらく、
知識量・情報量の話ではありません。

もし知識量や情報量をもって「教養」とするのであれば、Wikipediaをぜんぶ記憶している人は「教養がある人」? それらはあくまでも“information”であって、教養じゃない。



ぼくは、教養って「土壌」だと思うんです。

それはつまり、教養そのものに意味があるわけじゃない。それを踏まえてどんな果実を実らせるかが大事だということ。んで、素敵な果実を実らせるためにはしっかりした土壌があったほうがいいよね、という話だと思うんです。
イケてる果実を育てるためには、土壌が豊かなほうがいい。教養があったほうが豊かな果実が実りやすい。教養のない果実は貧相になる。そういう意味で、教養は果実を実らせるための土壌なんです。

本当に大事な部分は教養そのものではなく、果実。
ただ、果実だけで判断することはむずかしく、土壌があればいいってもんでもない。
だからこそ、一般的に「教養」と言われているのは、その土壌と果実をひっくるめたものだと捉えるのがちょうどいいんじゃないか、とぼくは考えています。

なので、「教養をつける」と考えたときに大事なことは、文学や哲学、宗教や歴史、科学といった知識や情報を仕入れることよりも、「果実を実らせる」ことを前提におく必要がある。
んで、そのときに特定の分野だけを究めるのは、それは「専門性」であって教養ではありません。単一の栄養素だけじゃ土壌は豊かになりにくい。音楽や芸術、科学や経済、社会や生物いろんな分野を横断的に知るほうが豊かな果実が育ちやすい。

んで、最後にもうひとつ言うと、それらの土壌を成す教養というのは、そもそも過去の偉人たちが生み出した果実である、ということです。

教養のある人が増えて、社会にたくさんの果実が生まれますよ~に!!