マズローさんの欲求5段階説ってのがあります。
ご存知の方も多いかと思いますが、マズローさんが言ってるのは、人間の欲求は5段階になっていて、下層の欲求が満たされることで上位の欲求を指向するようになるね、という説です。最下層は生理的欲求であり、最上位となるのが自己実現欲求である、と。

その5段階って何かというと、
△自己実現欲求
△承認欲求
△所属欲求
△安全・安心欲求
△生理的(生存)欲求
なわけですね。

つまりはとりあえず「生きる」こと、そして「ビビりながら生きなくてもいい」状態になること、「守られてる/社会的に存在してる」感じになること。んで、「認められること/その感覚をもてること」があって、「自分らしく生きてる実感」を得ること、という説です。

んで、ネットや本屋さんでも実用系のサイトや本では、このマズローさんの理論を参考にしているものがちょいちょいあったりしますが、あれってどうなんでしょうね。
だって、この理論だけを見ればそれなりに納得できるようにも見えます。ふむふむ、たしかになるほどね~、と。「そうか、自己実現を目指して自分も!」とか、「いまの自分は承認欲求で動いているんだ!」とか思うかもしれません。

でもね、なんだか違和感、ありません?

いまのこの日本で、少なくともこのブログを読んでくれている人たちの場合、さらには実用書を読むような人が、所属欲求や安全欲求、生理的欲求なんて必要? と。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人、屋根のないところで寝たり明日にもどうなるかという不安を抱えていたり、社会的役割や所属する場所がなかったりするという状況にいる人たちに必要な情報でもなさそうです。
ってことは、あとは人から認められ、自分が自分らしく生きるということへの欲求である。
って、普通に当たり前のことを言ってるだけな気がしません?
実用書やビジネス系の情報サイトで、わざわざ「マズロー先生も唱えているように」なんていうようなものでもない。


そして何より、マズローさんの欲求5段階説をビジネスや社会に応用するには、決定的に欠けてるものがあります。
それは社会に生きる人間として、承認欲求や自己実現欲求を満たす上では欠かせないもの。それなくして承認欲求も自己実現欲求もありゃしませんでしょ~よ、という要素。
就活ゲームにかかわってくれたり、このブログを読んでくれている人は、もう「あれのことだよね?」って気づいてくれていると思います。



そうです。
それは「他者視点」。

マズローさんの5段解説って、どれもがぜんぶ「自分のこと」。
自分が安心したい。自分が守られたい。自分が認められたい。自分の存在価値を生み出したい、感じたい。自分らしく生きたい。それらを下層から満足させていくことで、最終的に自己実現を成しとげた~い。ぜんぶ自分の欲求ば~っかり。

社会においては、自分以外の誰かがいなけりゃ「自己」なんて存在できない。
そんな「自分以外の誰か」の「ためになる/役に立つ」ことでこそ社会人なわけです。
個人的な研究や芸術ならば、そりゃマズローさんの理論に沿っていくのもありでしょう。でも、社会ですごしていく上では、やっぱり他者の存在は欠かせない。

他者なくして自己実現はね~んです。

それは「対象」としての他者もそうだし、「評価者」としての他者もそう。
他者のために他者と向き合うことで、誰かのためにという欲求が生まれる。
そうして動いていくことで、そんな誰かが評価をしてくれることに喜ぶ。
そんな欲求やアンテナが他者に向くからこそ、承認という結果につながったり、それを得るための成長の結果として、人とは違う自分らしい自己実現につながる。

社会は常に他者とのつながりであって、他者がいてこそ自分が存在するということ。
「自分が自分が」のマズローさんの理論に縛られることなく、誰かの役に立つ欲求で動く人が増えますよ~に!!