猿基地にはおもろい学生たちが来てくれたり、猿基地に来てくれることによっておもろくなっていったりするわけですが、たまに聞かれます。

「みつしろが言う“おもろい学生”ってどんな人のこと?」

たしかになんだろう?
何をもって、「おもろい」と言っているのか。

そりゃ話が合ったり、学生生活を楽しんでいたり、猿基地に来る学生や社会人と会話ができたり、そういうのは「うれしいなぁ」とは思うけれど、「おもろい」かどうかというのとはちょっと違う気もします。
一方、ぼく自身が大事だと思っている価値観の幅が広かったり、発想力というかクリエイティビティを感じたり、何でもポジティブに捉えられたりする人は間違いなく「おもろい」んだけれども、別にそこまで多くを求めてるわけでもありません。

って考えてみると、とりあえずはたぶんこれなんじゃないかな、というのに至りました。

「エネルギー」と「言葉」をもってる人

端的に言ってしまえば、ぼくが「おもろい」と感じる人って、この2つ。
エネルギー量が高くて、自分の言葉で話している人。
まあ、普通に考えてもそうですが、単純に逆にしてみるとエネルギー量が低くて、ちゃんと言葉でコミュニケーションがとれなさそうだと、そりゃどうにもかかわりにくい。
エネルギー量って、必ずしも声が大きいとか精力的に動いてるというだけじゃなくて、場合によっては物静かに見えて、むちゃくちゃエネルギーのある人もいます。
言葉というのも、別に知識量が多いとか笑わせるスキルが高いとかの話じゃなくて、ごくごく普通の言葉でありながら、ちゃんと自分の考え方をもっていたり、考えのやりとりがしっかりできたり、という意味で。


ってなことを考えていて、フと気づいたのですが、この「エネルギーと言葉」というのは、ゆ~たら「体・行動」と「頭・思考」とも言えるわけで、頭と体、思考と行動の両方をもっていて、それがしっかりリンクしてる人、とも言えます。

んで、そこからさらに考えると、ぼくが就活について普段から言っていることと同じやんけ~、と我ながら「結局そこか~い!!」と呆れるやら、やっと気づいた的に思うやら納得したわけです。

というのも、それはつまり
「キャラ」と「ぼうけんの書」やないかい、と。

エネルギー量というのは、体や行動としての「キャラ」。
言葉というのは、頭や思考としての「ぼうけんの書」。

結局やっぱりぼくが大事にしたいものであり、学生を見ていて「おもろそうだなぁ」と感じたりしているのは、キャラと「ぼうけんの書」と同じだったわけですね。
それこそ去年の1月の記事でも書いたように、エネルギー量の低さはキャラのブレにもつながります。逆に言えば、キャラが立ってるとエネルギー量は高まりやすい。
学生たちをみて、すぐにキャラはわからないまでも、その表出というか滲み出るヒントとしてエネルギーを感じようとしていたわけではないか、と。

「おもろい学生」というのは、「その人らしさ」が見える学生であり、その人らしさというのはエネルギーと言葉で出る。そういうことだと思うんです。
んで、就活もそうで、企業の人たちが求めているのも同じこと。むずかしいこと考える前に、まずはエネルギーを高めて、言葉で考える。そのヒントやツールとして、キャラや「ぼうけんの書」を使ってみたらどうでしょうか、と。

就活も生き方も、とりあえずはたったそれだけのこと。
ぐちゃぐちゃ考えすぎずに、エネルギー高く、言葉を使える学生が増えますよ~に!!

内定力
光城 悠人
すばる舎
2017-04-19