日本酒がそれなりに注目されている昨今ですが、ここ数年で日本酒業界に「キレイな日本酒からの脱却」という流れがあります。
かつては純米だ吟醸だ大吟醸だ、やれ精米歩合が50%だ30%だなんて言われ、いかにして雑味のない、キレイで飲みやすい酒にするかの試行錯誤だったわけです。
吟醸・大吟醸や精米歩合というのは、つまりは「どれだけ米を削るか」ということで、「削れば削るほど、雑味の少ないキレイなお酒になるよね」という話です。(ざっくり) それで各蔵は米を削って削って「キレイ」に洗練することを追求してきました。

ただ近年は、蔵元もこう言います。
「米を磨けば磨くほど、そりゃキレイで飲みやすいお酒にはなる。けれど、ここまでくると自分たちが飲んでも蔵の違いがわからない。自蔵かどうかもよくわかんなくなっていく」と。
それで最近ではむしろ米をあまり削らないお酒が出てきて、それが評価されるようになってきました。雑味を旨みに変える。キレイさよりも個性を出す。


それって、日本酒の話にかぎらないよなぁ、と。

なんだかわかりやすい「優等生」って、「面白み」がない。
いわゆる「高み」を目指していくと、どんどん「個性」がなくなってく。
そのへん、日本酒と同じような価値観が広まってきています。

誰にでもわかりやすい「キレイ」や「優秀」よりも、雑味を活かして旨みに変えるほうが個性を感じる。そういう「キレイ=無個性」とでもいえる流れになってきている。

ここでのポイントは、「キレイ」を指向する方向じゃなくなってる、ということじゃなくて、「雑味を個性に」のほうです。

これまで不要とされ、なくすべきだと言われていた「雑味」。
上手に手を加え、育て、活かしてあげることで素材なりの「個性」が生まれる。

洗練するつもりで、あれも削ってこれも削る。あれを高めなくっちゃで、ここも手を抜けない。しっかり欠点のないように磨いていくことで、一見「キレイ」に見えるものができるかもしれません。でもその実、できあがるものはどうにも深みや広がりのない無個性なものだったりする。
それより、一見「雑味」のようだけれど、あえてそこに着目して意味を見出し、上手に育ててあげることで、雑味は個性に変わりうる。

そのときに大事なのは、「育て方」もそうなのだけれど、まずは最初に「着目する」こと。
もうちょっと言うならば、「その価値に気づくこと」じゃないだろか、と。

それこそイチローの振り子打法だってそう。
従来の打撃理論からすれば異端であり、いわば雑味だったわけです。入団当時の1軍監督やコーチはそれを「雑味」と扱ったけれど、本人や2軍監督が「いや、これは個性であり、強みである」と着目して、ちゃんとその価値に気づいていたからこそ、その後に誰もが知るイチローの活躍がある。

自分では短所だと思っているもの、弱みや直さなくちゃいけないネガティブに捉えているものだとしても、もしかしたらそれはこれから価値を生み出すための「雑味」のようなものかもしれないんです。

落ち着きがない、集中力がない、長続きしない、初対面が苦手、論理的に整理して考えられない、人と考え方が合わない……。
ともすればそういうのだって「直さなきゃ」と思うかもしれないけれど、それが個性に変わることだって充分にあり得ます。要は、そこに着目して、どう育てていくか。

キレイな優等生ばかりがもてはやされる時代じゃなくなってきています。
芸能界の人気タレントを見ていても、みやぞんにブルゾン、カズレーザーにアキラ100%、古参の出川哲朗や蛭子能収が最近むしろ人気になっているのも、そうした「キレイな優等生」ではない個性だからです。
世の中は充分に、雑味を活かした個性を受け入れたり育てたりする時代になってる。

だからこそ、自分の中にある雑味や、かかわる人たちの雑味にこそ注目してみるのも、個性が生まれるための大きなポイントになるはずです。

「雑味を活かす」方向に考える人が増えますよ~に!!