飲み屋の会話から雑誌の見出しまで、「モテ」という言葉が世の中には飛び交っているわけですが、ぼくとしては、「モテ」という言葉を使ってる時点で、おそらくその人が「モテる」ことは生涯を通して望み薄なんじゃないかと言いたいのです。
だってですね、ちょっと想像してみてください。
あるミュージシャンがいたとします。
「おれ、むっちゃ売れたいね~ん!」
「わたし、この分野で売れたいの!!」
「売れるために、こんなにがんばってるの!!」
って、それだけじゃどうにも売れなさそうじゃないですか?
昭和の時代ならまだしも、平成が終わろうとしているこの時代に、「それじゃ売れんよ」と言ってあげたくなりません?
ぼくが考えるに、この「売れる」と「モテる」は同じです。
つまりは、「マーケティング」という話。
「売れる」も「モテる」も、なんだか多くの人から評価をされてる状態になりたいし、そんな状態になったらうれしいし、だから多くの人が自分を好いてくれるようにがんばるぞう、という話なわけですね。
ただ。
そこにはマーケティングの感覚がない。
世の中には、同じことを同じように考えている同じような人たちが、同じようなことばっかりしながら、同じようなマーケットで同じように漠然と動いております。
だからそもそも現状で「売れ」ても「モテ」てもいない人が、「売れたい、モテたい」と思って、ただただ「売れた~い」、「モテた~い」なんてことを思っても、思いどおりの状態になるには競争相手は多すぎるわ、相手が見えてないわ、そもそも自分の幸せの形すらわかってないよね、と。
そもそもですね。
「売れる」はまだしも、「モテる」ってなんなんだ? と。
ミュージシャンや芸人やアーティストなら、「売れる」は仕事や実入りに直結するものだし、相手(マーケット)が多いにこしたことはありません。
でも、「モテる」の場合はどうなんでしょ。
たくさんの人からモテたとして、ただ性欲解消的な話なら男女ともにそれなりにメリットがあるかもしれません。でも、たぶん「モテたい」と言ったり思ったりしてる人って、必ずしもそういうことを求めてるわけじゃないと思うんです。
たとえば。
自慢をしているわけではなくて、ぼくは小学生と中学生のときにはかなりモテてまして、それはそれはマンガやドラマのレベル。
小学生の頃には、風邪で学校を休んだらクラスの女性陣10人くらいが見舞いに来てくれる。中学生になったら廊下を歩くだけで注目を浴びるし、バレンタインの日にはそれこそ昭和のドラマのように下校中に電信柱の陰に隠れながら7,8人の後輩がついてくる。卒業式はボタンどころか、胸につける「祝卒業」の疑花とか校章までなくなっちゃう。
それくらいモテてたみつしろ君ですが、どうにも恋愛はうまくいきません。
小学生ではクラスの子からの告白を断ったら、その仲良し女性陣に呼び出されて「あの子の想いを断るってどういうことやねん」と詰められ、中学生で好きだったS藤さんに想いを伝えたら「みつしろと付き合ったら、まわりからどう言われるかわからない」と言われ、高校時代のH場さんには「親友のY口さんがみつしろのことを好きだから、それはムリ」と言われる始末。
ほら、モテたって良いことなんてぜんぜんない。
むしろモテることで、ぼくの恋愛はうまくいかないことばかり。
モテなくたっていい!!
自分が好きになった人と仲良くなりたい!!
それだけでええね~~ん!!
と。そう思うわけです。
多数から好かれる必要なんてなく、ただただ自分が「この人に」と思った人と、ちゃんと仲良くなりたい。それだけなんです。それなんす……。
んで。
だからこそ、のマーケティング。
自分が意図しない不特定多数からどれだけ好かれたとしても、自分が求める幸せを掴めなければ、なんの意味もありません。
どれだけ50オーバーのおっさんおばちゃんから「モテ」たって、自分がその人たちを求めてなければそこに意味はありません。どれだけヤクザに「モテ」たって、真っ当な道を生きていきたい人にはど~でもいい。幼稚園児にモテモテだとしても、それは自分の求める恋愛の形じゃありません。
そ~いう「不特定多数の人から好意を寄せられる」のを「モテ」だと思うなら、それを目指せばいいんです。
でもおそらく、多くの人は「誰でもいいから好かれたい」ではないと思うんです。
なのに、「モテたい」という言葉は、無意識のうちに「誰でもいいから」を含めてしまってる。
そしたら使うべき言葉は「モテたい」ではないはずで、ただただ不特定多数の異性から好かれてればおっけーというものではないはずなんです。
つまりは、「モテたい」という言葉を使うのは、自分のターゲットもわかっていなければ、そこにヒットする自分の強みもわかってないということ。それがヒットするマーケットもわからないまま、「自分を好いてくれる人が多いことが喜び」なんていう、とても曖昧なまま曖昧な希望を抱いている状態。
不特定多数からの「モテ」なんて、大して良いことありません。(ただセックスしたかったり、寂しさを埋めたいだけの人は除く)
マスマーケットからの「モテ」じゃなく、自分は誰からどんな部分で求められて、どんな人にどんな分野で役に立ちたいのか、ってなことをわかっていて、それがお互いに実現できる相手と出会って、お互いに仲良くなることこそが大事なんじゃないかな、と。
無意識、無自覚、無思考でただただ「モテたい」だけだとモテないし、仮にモテてもそれはあんまり意味がないんじゃないかな~、とそんなことを考えるわけです。
大事なのは「モテる」ことじゃなくて、自分が求める人とお互いに仲良くなること。そのために、自分の良きところと相手の求めるところ、自分が求めるところを一致させるのが「マーケティング」的考え方です。
そのためには、安易に「モテたい」なんて言わずに、自分が求めている人、自分が求めている幸せ、自分の何を求めてくれる人がいいのか、は考えてみましょう。
多くの人が自分の求める最適な人に出逢えますよ~に!
コメント
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モテたいと言っても、自分の好きな人でなければそれは嬉しくないし、モテたいと思ってもこの人ちゃったなと思うと想いは成立しないし…。
でも「優しくて、自分の芯をしっかりと持ってる、なよっとしてない人が好き」となると、どんな人にモテたいっていう方向性が決まってて、それに向かって自分も努力出来て自分磨きが出来る。
私はこの冬から就活が始まり(もうこの夏あたりから就活だったのかもしれませんが)、上手く書けない自己PRにウンウン悩んで、自分の強みや良さが分からなくて、でも現状をどうにかしたくて本屋に向かいました。そこで光城さんの本を見つけました。
今では私の心を軽くしてくれた愛読書です。酒場に行けや対おっさん力や面接はインタビューと思うと良いというのは、私の不安をサァーッと薄れさせていきました。
この場を借りて、ありがとうございますと言わせて下さい。
私の本番はこれからですが、内定力を片手に就職活動を行なっていきたいと思います。
わ~い、ありがとうございま~す!!
もう、そんなに就活してきたんですね。何かしらお役に立てたとしたら、むっちゃうれしいです。ありがとうございます心から。
まだまだ役に立てることを発信できるようにやっていきます。どこかでお会いできますよ~に♪
就活楽しんでくださいね~!!