SF小説の巨匠、アーサー・クラークさんは言いました。
充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。(Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic)
ま、とりあえず、この言葉はおいといて。
ぼくはよく学生たちにこう言います。
「アンコントローラブルなものに不安になったりストレスを感じたりするのってムダだよん。とりあえず、いまの自分の言動で変えられるもの(=コントローラブル)なものだけ考えよう。んで、動こう」って。
この根本にあるのは、ぼくがもともと「途上国開発の仕事をしたい!」と考えていたこともあるんですが、その夢をもって経済学部に入ったものの、学べば学ぶほど「自分がそこに与えられる影響ってどの程度のものなんやろ……」という諦念にも似た方向転換があったからなんです。
ぼくは、自分が影響を与えられる分野でやっていきたいし、それが嬉しく楽しい。その影響度が低いなら自分がやるほどの意味がない。ってか、どの程度の影響が与えられてるのかがわからないなんて、たぶんそもそもがんばれない、と。
それでぼくは人材業界の零細企業に入社して、できるだけコントローラブルを増やそう、と。いまの自分ができることをやりつつ、もっと影響を感じてもらえるようなスキルを身につけなくっちゃ、と7年間働いたわけです。んで、猿基地をはじめた。
その結果(というか偶然でしかないにしても、)ぼくが就活相談でかかわった学生が総合商社に入社して、それこそぼくが想像していたレベルよりももっと大きな規模・影響力で、途上国に影響を与えるようになったり、気づけば青年海外協力隊でソロモン諸島やらブルキナファソやらに行ってる人たちもいる。
それだけじゃなくて、自分がかかわった人たちが、それぞれ状況は違えども楽しそうに社会人として素敵な人たちになってくれてるわけです。
んで。
これは本当に、「アンコントローラブルのコントローラブル化」で生まれたものだなぁ、とつくづく思うんです。
どういうことか?
というと、たかだか学生だったり社会人1,2年目だったりのときには、世の中の多くのことが「アンコントローラブル」に見えると思います。
ただ、そんなアンコントローラブルでも、それはまだまだ自分にスキルや環境や立場や能力や機会や流れや評価がないから、「まだ」アンコントローラブルな「だけ」の場合が往々にしてあるわけです。
逆に言えば、それをコントロールできるだけのスキルや環境や立場や能力や機会や流れや評価を得れば、いつかコントローラブルなものにできる可能性があるよね、と。
ここで冒頭のクラークさんの言葉に戻ります。
充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。
これ、何かというと、
魔法=アンコントローラブルに見えるもの
科学技術=コントローラブルであるはずのもの
なわけです。
つまり何かというと、「アンコントローラブルに見えるものは、実はコントローラブルの積み重ねかもしれないね」と。ただそれが、今の自分にとってはアンコントローラブルに見えてしまう程度に、まだスキルや環境や立場や能力や機会や流れや評価がないだけなのかもしれないよね、という話なんです。
「あの先輩は何であんなに売れるんだろう?」
「あんなに内定をとれるのって、何か秘訣があるのかも?」
「そんなの考えてわかるわけないやん」
「自分にはあんなことできっこないわ~」
って、どれも「まだコントローラブルが少ない」から、アンコントローラブルに見えるだけ。
USJをV字回復させた森岡さんは、魔法のように打つ手打つ手をヒットさせて、奇跡的な経営術を見せました。
メジャーで活躍するイチローも、誰もが知ってるとおり、どんな球でもヒットにつなげ、それこそ魔法使いレベルのメジャーの投手の球を思い通りに打ち分けました。
それこそ彼らの手腕や技術って、素人から見ればまるで魔法のように描きたい未来を実現しています。
ただ、そこにあるのはあくまでも、ただただただただスキルや環境や立場や能力や機会や流れや評価の積み重ね。その中で、コントローラブルなものに向き合ってきた結果でしかありません。
つまりは、アンコントローラブルに見えるものを、どれだけコントローラブルに落とし込めるか。それこそが「成長」なんじゃないかと考えるわけです。
世の中の多くのことは、アンコントローラブルに見えます。でも、それは自分のコントローラブルなものが少ないから、そう見えるだけ。
営業成績を上げるのも、内定をとるのも、社会を変えるのも、彼女や彼氏ができるのも、まだ見えないコントローラブルなものを動かせるようになると、アンコントローラブルじゃなくすることもできるんじゃないかな、と。そうぼくは思ってます。
日常生活でも仕事でも、魔法を使える人が増えますよ~に!!
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