自分のメガネを持つと、楽しいことが多くなる。
いや、もちろん喩え話ですよ。「ダテメガネを買おう!」という話じゃなくて。

メガネって何かといえば、自分が解釈をするための立ち位置。
情報や日常の出来事、ふとした言葉や風景なんでもいいんですが、自分が触れたものや経験したことを「どう受け取るか」のきっかけであり、テーマのようなもの

たとえば昨日の記事でも書いたように、ぼくはボートを観ていても、やっぱり「就活」というメガネを通してみてしまうわけです。それこそこの記事でも書いたように、ぼくが『千と千尋の神隠し』が人生最高の映画だと思っているのも、ぼくのメガネを通したら、あまりにも受け取れるものが多いから。
猿基地に来てくれる学生でも、落語研究会の会長をしていた女性は、「なにをやっていても落語にできないかな? と思ってる」と言います。これから始まる就活も、「楽しみなのって、就活が終わったらそれをテーマにした落語をつくりたいから」なんですって。むしろ就活は、落語のためのネタ集め、みたいな感じなんだそうです。

有名な人の言葉を借りると、『うる星やつら』の高橋留美子や『北斗の拳』の原哲夫、『ドラゴンクエスト』の堀井雄二を輩出した「劇画村塾」の代表者、小池一夫も同じようなことを言っています。
私は「キャラクター」でものを考える、キャラクター思考(シンキング)の持ち主です。世の中の全ての事柄を「キャラクター」というレンズを通して見たり考えたりするのです。(中略)あらゆる事を「キャラクター」という言葉で説明し、キャラクターという概念がどう関係するかを考えます。

有名ブロガーのちきりんさんの言う、「フィルター」も同じではないけれど近いものだと思います。
今の“就活”の最大の問題は、学生が企業に関する情報を集めることばかりに必死になっていて、意味のある「フィルター」を探そうとしていないことです。(中略)重要なことは、与えられたフィルターになんの疑問ももたず、そのまま受け入れて必死に頑張ることではなく、「自分(自社)独自のユニークなフィルターを見いだし、それで勝負していこう!」という発想に転換することです。

ビジネスで成果を残したり、世の中を驚かせたりする人たちも、たぶんそういう自分のメガネを持っていると思うんです。何を見ても何をやっても、「それ」につなげて考えちゃう。
ニュートンのリンゴだって、ニュートンがいっつも「科学のメガネ」で生活していたからこそ、生まれた逸話なんだと思います。ビジネスにおける「アイデアが生まれた瞬間!」みたいなものだって、だいたいその人はいっつも同じメガネをかけ続けていたから、「人とは違うもの」が見える。


メガネ、レンズ、フィルター。
そういうものを持っていると、いろんなことに「意味」が生まれます。
同じものを見ても、他の人とは受け取れるものがぜんぜん変わってくる。

逆に言えば、このメガネを持っていないと、与えられたものをそのまま受け取っているだけ、になっちゃう。
もちろんそれで楽しければいいのだけれど、メガネを持っていたほうがもっと自分なりの楽しさを感じられる。もっていないよりも、もっていたほうが人生は楽しいことが増える。もってないなんてもったいない。


別に、メガネはひとつじゃなくていいんです。
ぼくは基本的に、何を見てもとりあえず「就活メガネ」で見るけれど、サブメガネとして「ひねくれメガネ」とか「オタクメガネ」とか「分析メガネ」も持っています。それらを対象によって変えたりしながら、就活とか社会のこと、仕事のことにつながるような考え方をしているわけです。

そんなメガネを意識するだけで、世の中ネタだらけになる。
単なる受け身の日常じゃなくて、自分なりの意味だらけの日常になるんです。
自分のメガネを見つけて、世の中を覗いてみる。それってむちゃくちゃ楽しいですよ。