「“価値観の幅”とか言ってるくせに」とか、
「ぜんぜんグローバル感覚が足りない」とか、
「そんなので、何が飲食店だよ」とか、
「サービス精神のカケラもない」とか、
「むしろ傲慢な考え方じゃないか」とか、
「そんなんで日本は観光立国になりうるか」とか、
「東京オリンピックが心配になるわい」とか、
そう思われるのも承知の上で、「でも何か変じゃない?」と考えてるので、ちょっと書きます。

というのも、
「外国人の7割がた、ひと言目が英語ってどないやねん?」
と、そう思うわけです。

猿基地は京都のお店で、かつ近くの立命館大学にもたくさんの留学生が来ていて、他の飲食店ほどじゃないだろうけれど、それなりにときどき外国人のお客さんが来てくれます。
まあ、お客さんが来てくれるのはうれしいこと。むしろ海外から来て、こんな入りにくい店に、ちょっと不安感もあったりしつつも、踏み込んできてくれるのはうれしいことだとは思ってはいます。

ただね、そんな外国人のお客さんの7割がた(肌感覚)、ひと言目が英語です。
ぼくはそれがどうにも「なんだかなぁ」と思っちゃうのです。

いやいや、別に「メニューヲ見セテクダサイ」とか「コノ店ハ、何ノ店デスカ?」とか「コレトコレヲクダサイ」とか、そんなことを求めてるわけじゃないんです。
ただただ「コンニチハ~」とか「スミマセ~ン」とか「チョットイイデスカ?」程度の単語レベルの日本語の話。海外に2,3日もいたら、20回以上は使うであろう言葉の話。

だって、たとえばぼくらが海外旅行をしたとして、タイに行くなら「サワディーカップ」とか「コープクンクラップ」とかくらいは覚えていく。韓国に行くなら「カムサハムニダ」と「コマウォ」の違いは覚えるだろうし、フランスなら挨拶どころかもうちょっと言葉を覚えておかないと聞こえないフリをされちゃいそう、とか考えて、どんな国に行くにしても現地の言葉を覚えていきます。

なんで彼らは英語しか喋らないんだろう……?

ナゼその程度の日本語すら喋らへんねや!?
と。そう思っちゃうわけです、ぼくは。
どうにもコミュニケーションにおける傲慢さを感じちゃう。
だからぼくは、ひと言目が英語のお客さんには、日本語で返すことにしています。逆に、ちょっとでも日本語を話してくれたら、チープで貧相な英語ではあるけれどできるかぎりの英語で返す。(や、もちろん日本語で返すつっても、表情とか声色はちゃんとサービス業としての笑顔と元気さは持ち合わせつつ)

ぼくらが現地の言葉を話そうとするのは、かならずしも島国根性だとか敗戦国だからという理由じゃないはずです。
現地の人とコミュニケーションを図ろうとする気持ちや、お互いに友好的にかかわれたらいいよね、と考えるからこそ、せめてひと言目の挨拶とかありがとうとかちょっとすみませんとか、それくらいは現地の言葉で話そうとするわけです。

そういう意味で、ぼくはひと言目から英語で話す外国人や、あたかも「英語くらい通じるやろ?」と言わんばかりの普通のスピードで英語を話す外国人に、「お互い良いコミュニケーションしましょうね」的な意図を感じられない。
百歩譲って旅行者ならまだしも、日本に日本語を学びに来ている学生だったら、それこそ挨拶くらいは日本語でしたらどうだろうか、と。せっかく高いお金を払って、貴重な時間を割いて来ているんだったら、外国人同士で英語で盛り上がってるだけじゃなくて、もっと日本語を使ったらいいのにね、と考えちゃう。
同時に、そんな彼らの英語の会話に、英語で返してあげちゃう日本人のみなさんは、彼らのためにもちゃんと日本語で会話してあげたらいいのに。せめて英語で話すときには、「英語で話しちゃってゴメンね」くらいの気持ちが必要なんじゃないでしょうか。

別に外国人が嫌いなわけでもなく、むしろもっと外国の人とも話したいし、別に敵意を感じているわけでもないのですが、どうにも海外とのコミュニケーションという意味で考えると、「ちょっとくらい日本語、使ってよ」と思っちゃうわけです。

これって、ただのワガママなのかなぁ。
ま、楽しく、気持ち良く、適当に~。
仲良く話せる外国人が増えますよ~に!!