いままでは「東大っぽい」考え方が主流派でした。
ぜんぶの教科をバランス良く、教科書や参考書に書いてあることをしっかり吸収して、求められた問いに対して、正確な情報を踏まえて正解を出す。ルールに忠実で、その枠内で最高得点に近づいていくために努力をする。それによって評価を得る。

んで。
いまもそうやって「東大っぽい」考え方があって、迷ったり悩んだりする人、多いんじゃないかと思うんです。

たとえば、京大の教授のこの記事がとっても刺激的。
高校までは100点を目指していい。でも大学では100点を取る価値はあんまりない。
せっかく入って来た変人を、立派な変人にしなくちゃ。勿体無い。
京大はジャングルで、秩序はあるけどルールはない。

京大生は、もちろんお勉強でも頭がいいのだけれど、それ以上に特徴的なのはもっと自由で、枠組みやステータスで考えないところ。なんだか肩の力も抜けていて、発想も縛られない。

もちろん人には性格もあるし、いままでの考え方の慣れもあるとは思います。人として、必ずしもどちらかが良いとか悪いというわけでもありません。
ただ、いまの時代の状況や流れを考えてると、どうにもやっぱり「京大っぽい」考え方にシフトしたほうが、楽しく生きていきやすそう。
「東大っぽい」考え方は、何かを再生産したり、より良くコピーしたりするには、求められた素養だったと思います。んで、それはいまの時代もすぐに求められなくなるというわけでもありません。そういう仕事が必要な部分もあるし、それを真っ当にこなしていくのが好きな人もいるだろうと思います。

いちばん良くないのは、その両方を混ぜこぜにしちゃうこと。

東大っぽく、過去の「正しい情報」をベースにして、ルールの中で「正確な答え」を出していくこと。間違いを犯さず、求められた問いに向き合って100点満点を目指していく方向。
京大っぽく、自由に考え動きながら、ジャングルみたいなリスクも踏まえつつ、自分がおもろいと感じるものにハマったり、まわりからは「あいつはちょっとおかしい」と言われながらも、やりたいことをやる方向。

東大っぽいのが「悪い」というわけじゃありません。
必ずしも京大っぽいのが「良い」というわけでもありません。
その両方を一緒にもったままになるのが、いちばん迷いやすいし、踏み込めなくなっちゃう。

いままでの学校教育は「東大っぽい」方向だったと思うし、だからこそそういう人がいるのもわかります。ムリしてまで「京大っぽい」方向を目指したほうがいいと思ってるわけでもありません。
ただ、希望的には「京大っぽい」人が増えたら、んで、世の中がもっと「京大っぽい」ものを受容・許容するようになって、まわりの目を気にせずに楽しくすごせたら、そのほうが社会は豊かになりやすい気がしています。

そういう部分も踏まえつつ、自分はどっちの方向ですごしていくか、ちょっと考えてみるのもいいかもしれません。
んで、それを決めたら、もう反対側のことには縛られない。
自分の決めた方向で、もっと上手にすごしていけるように、しっかりドライブをかけていく。そうすることで、やるべきことはわかりやすくなるし、迷うことも少なくなるはずです。

まあ、もちろんぼくは徹底して「京大っぽく」ありたいな、と思っています。立命だけど。
今日も変わらず、楽しく、気持ち良く、適当に~♪

京大式 おもろい勉強法 (朝日新書)
山極寿一
朝日新聞出版
2015-12-07