就活がうまくいかない。
とか、
仕事がうまくいかない。
とか
そういうので悩んじゃう人がいると思うんですが、うまくいかないのって楽しくないですか?
というよりも、それで「悩む」だけだから、しんどくなっちゃうんだと思うんです。

「できない」とか「知らない」があるから、「できるようになる」のが楽しいし、「知る/わかる」と楽しい。って、ぼくは考えてるんですけど、どうですか……?

だってね、スポーツでも音楽でも、できるようになると楽しいでしょ?
知らなかった技術を知ったら、早く試してみたいと思うでしょ?
逆に「もうなんでもできるし、失敗しない」、「自分より上手いやつはどこにもいない」なんて状態になったとして、それって楽しい? どんなにムチャなプレイをしても死なないゲームがあったとして、そんなチートゲームって、やってて楽しい?

たとえばぼくが前職を辞めたのも、そんな「できない」とか「知らない」がなくなっちゃったと感じたからです。140人のベンチャーに入社して数年間、何十人の部下をもって、ぼくのひと言で他部署の数百人の動き方が変わる。それなりに難しい案件でも、だいたい想像通りに結果が出ちゃう。誰からも叱られないし、むしろ顔色を伺われるような立場。
たかだか27,8歳程度でそんな状態で、「やばい」と思ったわけです。
大学時代の同期はまだまだいろんな人から叱られて、もっと成長してるはず。なのに、自分は誰からも叱られないし、今の自分の状態のままでどうにかなっちゃってる。絶対的機会損失。
もっと「できない」ことが多くて、「知らない」ことを学べる環境に移らなくちゃ、絶対何かを損してる。そう思って、「とりあえず辞めなきゃ」と。辞めてどうするかを考える前に、「辞めよう」と考えました。
まあもちろん、それは勝手な思い込みで、本当はもっとできることもあったはずじゃないかとも思うけれど。

ともあれ。
そういう意味で、「できない」とか「知らない」に出合えるのは、とってもラッキーなこと。
それを「できる」ようになる、「わかる」ようになるのは楽しいことで、それがいわゆる「成長」のはずなんです。

先日もある社会人のお客さんが、「できない自分がしんどいです」と言っていたのだけれど、話を聞いてみると、そこで止まっちゃってる。だから良くないわけです。「しんどい」、「ダメだ~」、「このままじゃあかん……」
そういうときこそ、「いぇ~い、ラッキー♪」って、「考える」をしてみたらどうかな、と。

そんなときこそ、「ぼうけんの書」の出番です。
「ぼうけんの書」は、就活ではどちらかというと「言葉の練習」をするツールであり、「言葉を磨く」ためのツールでした。
社会人にとっての「ぼうけんの書」は、仮説検証のツールであり、現状改善のツールです。そこから「考える」を通して、対策を考える。そのためのツールとして「ぼうけんの書」は活用できる。もちろん社会人じゃなく、学生にとってもそうだけど。

「できない」
「わからない」
「どうしよう」
そういう出来事や感情が出てきたら、「ぼうけんの書」で考えてみる。

(なんで)この状態になってるのかな?
(たとえば)何が足りていないのかな?
(ホントに)現状は変えられないのかな?
(たとえば)どうなったらいいと思ってるの?
(なんで)うまくいってへんのん?
(ホントに)それだけが原因なのかな?
(たとえば)いつまでにどうなりたいと思ってるの?
(だから)何から手を付けたらいいんだろう?
(だから)どう動いていくのん? どうするつもりなの?

そうやって現状を要素分解していって、自分が対応できるところまで砕いてみる、掘り起こしてみる。「悩む」を「考える」に変えて、問題を「できそう」なところにまでブレイクダウンして、そこから始めてみるわけです。
社会人になると、「ぼうけんの書」を使わなくなっちゃう人もいるけれど、社会人になってこそ「ぼうけんの書」はさらに使えるツールになります。
それこそ「なんで」と「たとえば」と「ホントに」と「だから」の4本の矢は、いちばん簡単なコンサルティングツールなんです。それで自分を改善していく。

んで、「うまくいかない」っていうのは、改善したり成長したりするためのすごくラッキーなきっかけ。
もちろん「うまくいかない」が続きすぎると、さすがにちょっとしんどくなっちゃうこともあるかもしれません。だけど、できればもうちょっと「考える」の量や回数は増やしてみてもいいんじゃないかな、と。ぼくはそう考えてます。

さてさて明日から新しい一週間。
来週も、楽しく、気持ち良く、適当に~♪