いやあ、びっくり。
3日前に、京大の山極総長の話を書いて、きのうは小沢健二の話を書きました。
その2つの記事には何の関連性もあったわけでもないのだけれど、なんだか小沢健二のことを追ってたら、意外にも両者がつながる話題が。しかもそれが、ブログ的にも「伝えたい」と思うようなことがあったので、その話を少し。

というのも、小沢健二のことを調べていたら、彼が奥さんについて書いていました。
小沢健二『ひふみよ』 - 「妻の話」
(妻が卒業した大学には)京大がよく言われる、ボヘミアンな雰囲気があります。目先の役には立たない話を延々とすることを厭わない、みたいな雰囲気。結論を求めずに、話の展開そのものを楽しむ文化というか。(中略)「冗談を倍、倍にしていく」感覚もそれかもしれません。

んで、先日の記事にも書いたとおり、京大総長の山極先生も書いています。
山極壽一『京大式 おもろい勉強法』 
京都のサロン文化はダイアログ。つまり対話です。自分の意見はもちろん主張しますが、相手の言うことをじっくり聞きながら、自分の主張を変えていくこともしょっちゅう起こります。そうやってお互いにどんどん変化しながら、共に新たな提案をしていくのです。「おっ! それ、おもろいやんか」と。

んで、このブログを読んでくれている人って、京都の人が多いです。
あとは、大阪の人もたぶん半数以上が京都の大学に通ってる人なんじゃないかな、と思います。
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ってか、「ダブリン」ってなんでだ? U2ファンかなぁ(笑)


で、まあ、そんなせっかく京都という街ですごしている中で、この小沢健二や山極先生が言っているような空気を、どれくらい享受できているか、と。

ちがう意見、ちがう価値観をもった人たちと、どれくらい対話してるかな?って、

もちろん、これから大学を卒業して東京や他の地方に行ったあとも、観光だったり仕事だったりで京都に帰ってくることはあるかもしれません。でも、そのときに感じられる「京都の文化」はたぶん寺社仏閣や季節や料理の比重のほうが多いと思うんです。

上記の引用でも、ふたりとも「大学時代をすごす場所」としての京都という話をしています。
いま、大学生活を送っているこの時間に、もっとこうした「京都の文化」を感じることって、すごく大事。

せっかく京都にいるのなら、たくさん「対話」しないともったいない!

学生の中には「なんだか大学生活が物足りない…」と感じている人もいると思います。あの入学式のときの気持ちはなんだったんだ、というコレジャナイ感があったりしませんか。


ぼくは飲み屋をやっている人間だから、「飲み屋に行くといいよ♪」と言います。
カウンターのある飲み屋に入って、隣の席のおっさんだったり、お兄さんだったり、別のコミュニティで過ごしている学生だったり、そんな人たちといろんな話をしてみる。そこでしか得られないもの、会えない人、感じられないことってたくさんあるんです。京都には、カドヤもまほロバもモジャホールもあります。どれも個人経営の「おもろい」お店。

もちろん鳥貴族や牛角みたいなチェーン店が悪いわけじゃありません。
そういうお店と飲み屋は、ぜんぜん別モノなんです。
そもそもの行く目的が違います
安くて美味しくご飯を食べたいだけなら、そりゃチェーン店に行けばいい。でもせっかく京都にいるなら、もっといろんな飲み屋に行って、ちょこちょこお酒を飲みながら、いろんな人と会って話してみたほうが絶対にいいです。鳥貴族や牛角くらい、いつでもどこでも行ける。

山極先生も言っています。
仲間とだったら「えい、入っちゃおうか!」と冒険できる。
そうなんです。
冒険気分でひょいひょい入ってみればいいんです。
飲み屋で殺されることはありません。失敗してもせいぜい1000円程度です。


もちろん飲み屋じゃなくても、なんでもいいと思います。
ただただ「普段のコミュニティとは違う人とフツーに話せる場所」であればそれでいいんです。せっかく京都にいるなら、そんな体験をしてみてほしい。

小沢健二と山極先生のことを書いた直後に、関連性を見つけてしまって「おう! そうだ!」と思ってつらつらと書いちゃいました。


追:
就活にだって好影響があるよ、という過去記事は、このへんを…。