けっこう前に「ギブ・アンド・テイク」についての記事を書きまして、個人的にそれなりに気に入っている内容なんですが、そんな話題の周辺で、最近猿基地でよく話していることをちょっと。

というのも、まあ上手なギブ・アンド・テイクが世の中に広がったら、世界はもっと良くなるのに、とぼくは思っているのですが、「じゃあ“ギブ”って、何ができたら成立するのよ?」と。「ただただ与えりゃいいってわけじゃないでしょうよ」という疑問に答えてみようかと思います。
そういう部分ってむずかしくて、たしかに“ギブが大事!”といっても、誰かれかまわずにオラオラでギブしたからといって、みんなが喜んでくれるとはかぎらない。

じゃあ、ギブって何なんだ!?
上手にギブするにはどうすれば???
ということが、それなりに課題になってくるわけですね。

結論から言えば、「相手を知る」ということだと思うんです。
もうちょっと深めに言うなら、「相手の欲求に意識を向ける」


たとえばぼくは、学生から恋愛の相談も受けることがあるんですが、ちょいちょいよくあるのが男子学生からの「彼女とヨリを戻したいけど、ぜんぜん振り向いてもくれない」というようなの。
1年ちょっと付き合ってきたし、それなりに仲良くしてきたのだけど、急に彼女から「距離をおきたい」とか「もう付き合えない」と言われて、動揺する。それで改めて自分がどんなに好きかとか、自分は別れたくないと思ってるとか、自分の何がいけなかったの? とかを必死に伝えるんだけれど、彼女の気持ちは変わらない。

他にも、たとえば普通の恋愛だってそう。世の中にはたくさんの「彼氏がほしい女子」や「彼女がほしい男子」がいるはずで、世の中にはたくさんの恋愛のテクニックだとか秘訣なんかが溢れてます。
なのにどうにも両者の間は縮まらない。彼らはお互い懸命に「彼女がほしい」、「あの人に振り向いてもらいたい」とがんばる割に、望んだ結果は得られない。

仕事でも同じで、自社の製品・サービスの情報を頭に入れて、競合との違いも勉強した。それでお客さんにしっかりと提案をすることで、契約を勝ち取りたいと思ってるのに、あんまり成果にはつながらない。ちゃんと的確に話せているはずなのに、なんだかお客さんは乗り気じゃない……。

彼らがうまくいかないのは、やっぱり「自分」に矢印が向いていることにあると思っていて、相手が求めているものに意識を向けていないんじゃないかと思うんです。


ぼくは、世の中のすべての人は、自分の「理解者」を求めていると思っています。
理解者って何かというと、自分の「してほしい」ことをして、「してほしくない」ことはしない。自分の良いところをわかってくれて、嫌なところも理解してくれる人。
小さい頃は、多くの人にとって「お母さん」が大きな大きな「理解者」だったと思います。
でも、大人になるにしたがって、ちょっとしたズレが生まれたり、いつまでもお母さんに甘えてばかりもいられなかったりして、「理解されてる感」が減っていく。
んで、そうすると人は、しんどくなったり、ヒネくれたり、自信がなくなったり、寂しくなったり、逆に虚勢をはったり、場合によっては悪目立ちでいいからとムチャなことをしはじめたり……。


だからこそ、相手の欲求に意識を向けてみる。
んで、それに応えられるようにしていく。そこに「ギブ」していく。

そうすると、恋愛も仕事も、もっと良い方向に向かいやすくなるんじゃないかな、と思うんです。
「自分が自分が」になりすぎちゃうと、逆に得られるものは減っちゃう。
もちろん自分の欲求を満足させることは大事で、楽しくすごしていくためにはいろんなものがほしくなるのは当たり前です。いつもいつも誰かの欲求ばかりを気にし続けるのも、たぶん身体によくはないこともあります。だから、まあそこはギブ・アンド・テイク。

「理解者であること」

まずは、相手の欲求を察して、与えること。
「求めよ、されば与えられん」じゃないです。
「与えよ、されば求められん」なんです。

これって、人生のどんな場面でも、けっこう大事なんじゃないかと思ってます。