先日、猿基地に外国人のお客さんがきて、お互いにカタコトの英語と日本語で話してました。
んで、それなりにいろんな話をして、いや~、おもろいですね~」って話になって。

そこで彼らに聞かれたんです。
“おもろい”は、ドウイウ意味デスカ?」って。

ぼくももう酔っ払っていたので、そんな頭で「こんな感じの~」なんて説明してみたら、思いのほか「それやん!?」って、自分の言葉ながら気付かされたので、その話をちょっと。

それこそ京大総長の山際先生の本にも、こんなくだりがありました。
京大式 おもろい勉強法 (朝日新書)
山極寿一
朝日新聞出版
2015-11-13


京都のサロン文化はダイアログ。つまり対話です。自分の意見はもちろん主張しますが、相手の言うことをじっくり聞きながら、自分の主張を変えていくこともしょっちゅう起こります。そうやってお互いにどんどん変化しながら、共に新たな提案をしていくのです。「おっ! それ、おもろいやんか」と
この「おもろい」という発想こそ、京都ならではだと思います。相手に耳を傾けさせるような意見を言う。相手に「おもろい」と思わせる。対立して勝ち負けを競うのではなく、共同作業によって、さらに「おもろい」ことを提案していくという対話
京都流の議論は「おもろい」ものを見つけるためにあるものですから、固定された答えのない、本来もっとしなやかで楽しいもののはずなのです
この文脈で考えると、京都における「おもろい」っていうのは、いわゆる直訳的な「fun」とは違うし、かといって「intersting」ともちょっとズレる気がします。同じ関西でも、大阪の場合だったら「fun」のほうが近そうだけれど、京都の「おもろい」はちょっと違う。

んで、冒頭の外国人との会話の中で、ふとぼくの頭に浮かんできたのは、

「stimulating」

でした。

そう、たぶん山極先生が言っているのも、ぼくが肌感覚として感じているのも、
「おもろい=stimulating(刺激的)」
ということなんじゃないかと考えたわけです。

感覚的・感情的な「fun」でもなくて、ちょっとマジメで教養的な「interesting」でもなくて、「stimulating」。
なんだか自分の枠の外側にある、それでいてワクワクする感じ。それこそキャッチボールとかでも、普通に胸元に来るボールを投げ合うのもいいけれど、「捕れるかどうか」あたりのボールをキャッチしたときの快感みたいなの、ありますよね。あの感覚。それが、京都における「おもろい」に近いんじゃないかと思うんです。「おお! そこくるか!」みたいなやつ。

んで、「刺激的」となるには、相手が想定していない(けれど、お互いに許容・理解ができる内容の)やりとりをし合うこと。「ああ、そうくるかぁ。いいねぇ。たしかにねぇ。そうだよねぇ」的なやつ。そうやってやりとりをしていって、良いスパイラルが生まれていく。

それが「京都的」ということ。

特に学生街におけるサロン的酒場のありよう。違うコミュニティ、違う価値観、違う世代の人たちと「おもろい」スパイラルを生み出していくわけです。
普段は知り得ないような他の世界の人と話ができる場合だってある。一種の異文化交流のようなものでしょうか。だから、酒場は勉強の場にもなり得るんです
そのとーり!!

そういう意味で、ぼくが思うのは「京都産」の学生をブランド化したいな、と。

そんな京都という街で、酒場でおもろい対話をした学生って、そりゃ優秀である可能性が高いよね。日常的に「違う人たち」とお互いに気持ちのいいコミュニケーションができる人なら、そりゃ仕事ができるよねぇ、と。特定の大学にかぎらず、京都でそういう過ごし方をした「おもろい」学生を、企業の人たちに認知させるくらいにできたらいいなぁ、という妄想を抱くわけです。

だって、一条通だけでもそんな「サロン的酒場」が3軒もある。
いろんな刺激がほしいなら、日替わり店長の店『魔法にかかったロバ』
ワイワイ話しながら、賑やかに飲みたいなら『ゴールデンモジャホール』
んで、ちょっと理屈っぽくも気まぐれ適当な気分なら、猿基地。

もはや言うなれば、一条通の夜間大学とでも言うべきコミュニティがギュギュッと揃ってる。そんな一条通から、おもろい「京都産」の学生たちが世の中に飛び出していってくれたらと、それだけで楽しい妄想が広がる。

そんなこんなで、今日も京都の各地でそんな「おもろい対話」が繰り広げられますよ~に!!