ハンサムケンヤ『これくらいで歌う』のMV分析の第3回。(1回目2回目
歌詞もメロディも、ハンサムケンヤの独特の世界観を表現しているこの曲。それに対応して描かれた、さまざまな「あったかもしれない人生や未来」を映すこのMV。観れば観るほど発見があって、しみじみと沁みわたっていきます。

そんなMVですが、何度か見返していたとき、ふと気づいたんです。
それは、緑のハンサムケンヤがバスに乗っているシーン(3分42秒あたり)。

「あれれ……!?」

と。

何かというと、緑ケンケンの色が変わってる!??
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ほんの2秒程度のシーンですが、明らかに色が変わってる。
椙本さんのミスか何かかな? とか、製作途中で何かのエフェクトがかかっちゃったのかな? とも思ったのですが、普通に考えるとそんな作用が起きることは考えられないわけです。つまりは、椙本さんは意図的に色を変えてるはず。

ということで、他の色のハンサムケンヤたちも見直してみました。
すると、なんということでしょう。

赤ケンケンが、電車に乗り遅れたとき。(2分33秒あたり)
紫ケンケンが、コンビニを飛び出すとき。(3分20秒あたり)
 
同じように、彼らも色が変わっています。(拡大画像)
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「色が変わる」というよりも、薄く透明だったのが、濃くなってるんですね。

つまり、これは何か。
というと、本体から離れることによって、そこから彼らのストーリーが「実体化」するということですね。

ハンサムケンヤ本体の周辺にいるときは、あくまでも彼らは実体化していなくて、ちょっとした可能性でしかないわけです。それこそ、想像しうる可能性。
だけれど、そのちょっとした可能性であったものも「もうちょっと動く」ことで、新しい物語が生まれる。新しい未来が生まれる、と。そういう解釈もできそうな気がしません?

ほんの1秒程度のシーンにも、そんな演出を込めてしまう椙本さん。


そしてそこまで意味を持たせて演出をしている椙本さんだからこそ、後半ラストシーンに近づくところでも、「もしかして?」と思わされるところがあります。

楽曲の流れがギターソロからのピークを迎えて、5分を超えたところからの部分。
そこでは、こんな歌詞が歌われています。
盛りのついた男の子
チークで染まる女の子
犬のように誠実な女の子
猫のように甘える男の子
これ、もしかして映像で表現してるんじゃない? って勘ぐってしまいたくなるわけです。

盛りのついた男の子
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チークで染まる女の子
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犬のように誠実な女の子
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猫のように甘える男の子
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まあ、「女の子」かって言われれば「おばちゃん」だし、「犬」はあくまでもそのまんま犬ではあります。
でも、わざわざここで彼らをこの順番で出しているということは、そういうことじゃないかと思っちゃうんですがどうでしょう……?


どちらにしろ、ここまで多くのことを盛り込んである、このミュージックビデオ。
いろんな可能性や解釈を与えてくれます。


そして何よりも根本的には、そもそものこの曲のタイトルでもある『これくらいで歌う』という言葉の意味。椙本さんにとっては、誰かに指示をされたわけでもなく、ここまでやったってみんながみんな気づくわけでもないのに、自分なりにここまで細部に演出を施す。
一方で、ハンサムケンヤだってそうです。もともとミュージシャンを目指していたわけでもなく、日記をつけるかのように歌詞を書いて、メロディを生み出して、楽曲を生み出していく。それでデビューする頃には、誰に聴かせるためでもなく作った300曲が生まれている。

この2人の奇才にとっては、それこそが「これくらい」であって、変に気負いすぎることもなく、誰かからの指示でやるわけでもない「これくらい」なわけです。
そんな2人がタッグを組んだからこそ、この『これくらいで歌う』のMVが完成して、ぼくらはいろんな刺激を受けることができてるんだなぁ。と、感じるとともに、じゃあ自分にとっての「これくらい」は、どれくらい? なんてことを考えながら、ハンサムケンヤがもっと世の中に広まったらいいなぁ、と祈念しています。


さてさて、いよいよ明日27日の深夜には、フジテレビで『新しい波24』が放送されます。
関東ローカルでの放送なので、ぼくはリアルタイムでは観られないけれど、この放送をきっかけにハンサムケンヤ、もっと多くの人たちに知られるようになったらうれしいです。



次回更新からは、通常のブログに戻ります。
そろそろ就活系の記事も増やしていきますね~。