ブログを始めてこのかた、ずっと書きたいと思っていながらどうにもちゃんと書ききれなかった、ハンサムケンヤの話。
小沢健二に人生を変えられ、くるりと同じ時期に立命で大学生活を過ごし(でも、一番好きなのはU2)のぼくが、ひさびさに「これは……!?」と思ったアーティストがハンサムケンヤ。そんな彼の代表曲『これくらいで歌う』がどれくらいすごいのか。そんな、ず~っと溜め込んできた想いと解釈を、ちょっと集中的に書いていきたいシリーズ全3回。

曲そのものの凄さもそうだし、何といってもMV(ミュージックビデオ)が凄い。
ピコ太郎がなんやね~ん!!
岡崎体育がどうやね~ん!!
星野源!? その方面で売れたらいいのに♪
というくらいに素敵なMV。

まるでちょっとしたショートムービーを観ているくらいのメッセージとストーリーの豊かさ。たった7分弱の動画に込められたメッセージやギミックが、「奇才同士がタッグを組んだらこんなに凄いのね」と思わされる奇跡のコラボレーションを、もっといろんな人に知ってほしいし、楽しんでほしいのです。


作曲はもちろん、ハンサムケンヤ。
んで、MVを作成したのが椙本さん。椙本晃佑(すぎもとこうすけ)。

それこそ今年(2016年)は『君の名は。』が、邦画の興行収入の歴代2位を塗り替えて話題になった年ですが、その監督の新海誠がブレイクするきっかけになったのが、第12回CGアニメコンテストのグランプリ受賞。
この大会、なにがすごいって、一定のレベルに達してなかったら頑なにグランプリを出さないこと。
それこそ『君の名は。』の新海誠がグランプリをとった2000年以降の15年間、グランプリ受賞者はたったの2人。それ以外の13年は一貫して、「受賞者なし」です。

んで、その15年の中で、たった2人の受賞者うちの1人が、椙本さん。

そんな椙本さんが一人でハンサムケンヤに向き合って生み出したのが、この『これくらいで歌う』。

ギミックあり、小ネタもあり、そして何よりメッセージあり、のこのMV。
そりゃもちろんハンサムケンヤの楽曲の素晴らしさを感じるだけでも楽しいけれど、ちょっと視点を変えてみるとそれでさらに面白い仕掛けがたくさん。そんな『これくらいで歌う』のMVに隠されたさまざまな仕掛けをもっと知ってもらえたら、ということで、今日から3日間。ちょこちょこと書いていきたいと思っています。


この曲に通底する「これくらい」というテーマ。
そこから生まれる「こうだったかもしれない人生」を描くのが、このMV。
本人+5人の「こうだったかもしれない」が錯綜していく姿を観ながら、自分の可能性に向き合える。
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こうやって色分けされた「ハンサムケンヤ」に、それぞれの人生が訪れる。
単にまとめると、こう。

青=警察に追われる。
赤=人気POPミュージシャンになる。
黄=ただただダラダラとベースを弾いてる。
紫=女の子と仲良くなる。
緑=宇宙人にさらわれる。

あのとき犬の尻尾を踏んでなかったら、あのとき電車を逃してなかったら、あのとき彼女を追いかけてなかったら、あのとき終バスを逃してなかったら……。違う人生があったかもしれないよね、ということを描くわけです。

これって、ほんの些細なことで人生って変わるよね、と。
その影響を与える「これくらい」って、どれくらいなんだろう、と。
それを否定するでもなく、理想を追うでもなく、ただただただただ「これくらい」でしかない。

んで、それのどれが良かったのか悪かったのか、どうすべきだったのかなんてことは曲中でも映像でも「正解」は言いません。
あくまでも、「こんなことがあるかもよ?」としか、ハンサムケンヤも椙本さんも言わないわけです。
「がんばれ」なんて言わないし、「あなたしかいない」なんてこともなく、「大丈夫、君は一人じゃない」みたいなことも言わない。「ありのままで」とも違う。「こんなことをしてみたら?」とも言わないし、「こんなことしたら、こうなっちゃうよ?」なんて説教じみたことなんて言うわけない。

すげ~なぁ。
と、つくづく思います。

本人+5人のそれぞれの人生を描きつつ、どれを肯定するわけでも否定するわけでもない。
んで、このMVの終わりには、結局は全員が収束していくわけです。
何事もなかったような日常に戻る。




面白いのが、それぞれ担当楽器が分かれているところ。
細かく見ると、最初のシーンでそれぞれが担当していた楽器がちゃんとストーリーに組み込まれてるのが、椙本さんのワザだなぁと思わされます。


警察に追われるバイオリンの「青」は、牢屋でひとり寂しくバイオリンを奏でるし、
スカウトされて人気POPミュージシャンになる「赤」は、大ステージでギターをかき鳴らすし、
ただただダラダラとベースを弾いてる「黄」は、延々と街なかでベースを弾いてる。
女の子と仲良くなる「紫」は、バーでピアノを披露したりもする。
宇宙人にさらわれる「緑」に至っては、京都タワーをドラム代わりに叩いてる

それらがたった15秒に集約されてるのが、
4分34秒からの、このシーン。

たった15秒に登場人物5人が全員、ちゃんと登場してるんですよね。ピアノ(紫)からのドラム(緑)からのバイオリン(青)、そしてむっちゃちっちゃいけれどベース(黄)。そこまで踏まえて、ギターソロ(赤)に入る。全員大集合。

どんだけ詰め込むんだ、椙本さん。


さらには、そんな音楽の部分じゃないキャラも、ちゃんと冒頭から最後につながってる。
最後のシーンで、バイト先の店長に怒られる「青緑」の彼は、実は冒頭のシーンで、ちゃんとベッドに倒れ込んでる。
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こうやって、自分にとって「あったかもしれない日常や非日常」の可能性を存分に表現して、伝えようとしているのが、ハンサムケンヤの『これくらいで歌う』。本当に見どころ満載、聞きどころ満載なわけです。
まさに奇才と奇才がコラボレーションすると、こんな作品ができるんだなぁ、とつくづく考えることばかりです。いやはや……、ぜひぜひ観てみてくださ~い。