誰だって「褒められたい」と思うのは、そりゃ当たり前です。
 ただ、だからといってみんなが勇者なわけではありません。

 就活ゲームを読んでくれて、キャラを決めようとしている学生でも、たまにいます。「ぼく、褒められたくて動いているから、勇者だと思うんです」って言う人。
 や、「たまに」じゃなくて、そこそこいます。

 褒められたいから、がんばる人
 認められるために、一生懸命になる人
 「すごいと言われたくて、やってます」って人

 そりゃそうです。
 エセコンサルタントもよく言うような、マズロー先生の欲求5段階説なんかもあるけれど、そんなの持ち出すまでもなく、褒められ認められたいという欲求は、誰にだってあります。人間どころか、犬にだってあるわけです。
 わざわざ「マズローの欲求5段階説」なんて言わなくたって、現代の日本に生きていて、屋根のある家に住んで、毎日ご飯が食べられる生活を送っている大学生にとって、生理的欲求だとか安全欲求を強くもっているはずがありません。 普通に考えれば、承認欲求は誰にでもある。

 ぼくのキャラ理論でも、そりゃ「褒められたい」のは友好種族、と言っているけれど、だからといって他のキャラにその欲求がないかといえば、そんな訳ありません。どのキャラにだって、その欲求はあるに決まっています。

 たとえばぼく自身も、そりゃ褒められればうれしいとは思います。
 ただ一方で、「だからといって、褒められることを目的として何かに動くか」と言われれば、ぼくにはそういう気持ちはあんまりありません。
 「褒められる」のは、あくまでも結果論。褒められるために動くことはないし、何かに動き出したり、モチベーションの源泉になっているのは、全然別の欲求です。

 そういう意味で、大事なのは「何によって褒められたいのか」、「それが目的になっているのか、結果論なのか」、「褒められるために、どう考えて、どう動いているのか」という話なんです。
 単に「褒められたいから」ということだけでは、キャラを理解したり、それを人に伝えようとする上では、ちょっと足りない。

 せっかくキャラというヒントを使って、「ぼうけんの書」というツールがあるのだから、そこからもう一歩、考えてみましょう。

 「褒められたい」のは、
 たとえば、何を褒められたら嬉しいの?
 たとえば、過去にはどんなことがあった?
 なんで、褒められることが嬉しいの?
 たとえば、どんな人から褒められたい?
 たとえば、褒められるためにがんばったことは?
 ホントに、褒められることが嬉しいのかな?
 ホントに、褒められるなら、何でも良いの?
 なんで、そういうことをしてきたの?
 ホントに、褒められるためにがんばってたの?
 たとえば、自分ががんばり切れてないのに褒められたら?
 だから、褒められるっていうのは、どういうこと?
 たとえば、過去にがんばったあれは、褒められるためにやってたの?
 ホントに?
 だから、自分にとって褒められるってのは、どういう意味?
 だから、自分は褒めるということに、どう考える?

 や、もちろん「褒められたい」という話題じゃなくてもいいんです。
 自分なりに、何かしら「これは何かのヒントじゃないかな!?」と思ったら、そうやってどんどん考えてみること。いろんな話題を広く考えるんじゃなくて、特定の話題について、もっと深く考えてみること。一つの話題についての言葉を増やすこと。それが、これからの就活で、必ず役に立っていきます。

 「ぼうけんの書」は、思考の基礎体力づくり。
 ぜひぜひ、自分の言葉を増やしていきましょ~う。