僕は日本で一番学生のことを考えて、日本で一番就活の役に立つアドバイスを書いてます。ブログだって無料だし、他の就活ブログよりも文字数が多い。毎日のように就活相談に乗ってるし、営利目的じゃない。理論や視点だってその辺の就活コンサルと違って独特だ。

 あ~、もう書いてるだけで恥ずかしい(笑)
 前回の「恥ずかしい自己PR」の続きです。

 僕も書いてて恥ずかしいし、たぶん読んでくれてる人だって気恥ずかしくなったり、「なんか嘘くさ~」って感じたりすると思うんです。
 それは何故かというと、こういう恥ずかしい文章、噓くさい文章には「しょ~もない強がりが入ってる」からです。つまりは、発信者側の価値観の押し付け

 この文章を読んで、「そうなのか!」ってそのまま信じてくれる人なんて、まず居ません。むしろ怪しさしか感じない。たとえ大らかな心の持ち主だとしても、「う~ん、そりゃどうなんだろね~」くらいは思うはず。
 「日本一学生のことを考える」って何?
 「日本一役立つアドバイス」って何よ?って。
 その後に続く、無料だ、文字数だ、非営利だ、独特な理論だ、って「お前が勝手に思ってるだけでしょ?」と。事実とは言えないことを、あたかも誰にとっても共通する事実であるかのように話してる

 たとえば、恋愛の場合。
 出会って数日しか経ってない異性が、「世界で一番キミを愛している!」って言ってきたとしたら、どうでしょう。……信じられます?
 勇者や旅芸人だったら、「そこまで思ってくれるなんて!」と思う人もいるかもしれません。けれど、基本的にはちょっと眉ツバで聞いちゃいませんか。

 冒頭の文章も、恋愛の告白も、「自分の勝手な価値観の押し付け」が見え隠れしてる。だから、聞いてて恥ずかしくなるし、嘘くさくいんです。

 ただ旧式就活法では、こういう書き方こそ「良い自己PR」とされます。
 「自信をもって経験やスキルや実績をアピールしましょう」。そうやってアピールしないと、人事は評価してくれないよ、と彼らは言うんです。だから、多くの学生は、経験やスキルや実績をちょっと大げさに、あたかも事実のように書こうとする。

 でも、それはあくまでも「しょ~もない強がり」です。
 社会人からしたら、学生レベルの経験やスキルや実績なんて、大したことないものばかり。それを「実績!」とか「スキル!」なんて言われても評価のしようがないし、むしろ「これを実績と言っちゃうのか…」と低い評価をつけちゃうかもしれない。

 この価値観押し付け型自己PRから抜け出すにはどうするか。
 実はすごく簡単です。
 「事実」として書いていた部分を、「欲求」にしちゃえばいい

 僕の冒頭の文章なら、日本で一番学生のことを考えている人で「ありたい」。日本で一番就活の役に立つアドバイスを「したい」。
 ほら、僕の「欲求」は誰も否定できない。嘘だなんて証明できないでしょ。

 恋愛の告白も同じ。世界で一番キミを愛して「いたい」。誰よりも幸せに「したい」。最高の人生を一緒に「送りたい」。変に強がって「事実っぽく」言うよりも、欲求として伝えた方が受け入れやすくなる。
 ま、告白の場合はどちらにしろ気恥ずかしいかもしれないけど…(笑)

 自己PRでも同じです。
 「協調性」や「リーダーシップ」は言うに及ばず、「誰よりも努力しました」とか「メンバーからの信頼を得て」とか「本質を見極めて行動する人間です」。

 学生の言葉をそのまま信じるほど、企業の人たちはアホじゃない。企業の人たちは、これから一緒に働く人たちを求めて、真剣に選考をしています。旧式就活法が蔓延しているからこそ、彼らが学生の話を聞くときの基本スタンスは、「ホントにそうなのかなぁ…?」です。
 そこで、「誰よりも努力をした」とか「信頼を得た」とか「本質を見極めた行動」って言われたら、「何を基準にして、何を証拠に言ってるの?」というネガティブ視点での疑問が生まれやすくなっちゃう。
 それを、「努力では誰にも負けたくなかった」、「信頼を得たかった」、「本質を外したくない」にするだけで、あとに続く言葉はその判断材料になり、証拠の提示になる

 せっかくがんばって作る文章なんだから、ネガティブな色メガネで見られるのは損。変な強がりで、読み手に受け入れにくくさせないこと。
 強がって「事実っぽく書いた言葉」を「欲求の言葉」に換えてみましょう。それだけで、読み手の印象はぐぐっと変わるはずです。