「磨けば光る」というのは、どんなジャンルでも共通するものだと思うんです。
 キッチンとかトイレだけの話じゃない。
 技術、腕前、アイデア、能力、スキル……、人間性だって「磨く」という言葉を使ったりする。宝石も原石を磨いてこそ、光る。原石のままだったら、ただの「ちょっと綺麗な石ころ」です。
 そういう意味で、世の中にはけっこう「磨くと光る」ものが多い。

 文章も同じ。
 就活生が自己PRや志望動機の文章を書いているのを見てると、いきなり完成形を書こうとするんですよね。それで、「良い文章にならない…」とか「うまく表現できない」って言う。僕からしたら、そりゃ良い文章にはなりにくい。「光る」文章にはなりにくいよ、と思うんです。

 だって、そのやり方だと「磨く」工程がないから。
 「磨く」っていうのは、余分を削る、ということです。

 キッチンやトイレを磨くと、汚れという余分が落ちる。
 ムダな動きや不要なものを削ぎ落とすと、技術や能力が磨かれる。
 アイデアだって、シンプルなアイデアが一番強かったりする。
 宝石だって、原石より大きくなる宝石なんてありません。

 逆に言えば、不要なものが含まれてないと磨けない。
 不要な部分がたくさんあるから、磨けるんです。

 おととい、学生と若手社会人としていた会議でも同じようなことがありました。
 ちょっとしたプロジェクトの会議。
 ここまで1ヶ月半くらい、彼ら2人に任せていたのだけれど、どうにも状況は停滞気味。なので、横から口出しさせてもらっちゃった。
 複数のデータの傾向を分析して、タイプ別に分類する作業。どうにも突破口が見えないという2人。僕から見ると「散らかしきってない」感じだったんです。いろんなデータを持ち出してきているようだけど、全部自分たちに都合のいいデータ、それを予め持っていきたい方向に合わせてこねくり回しちゃう。
 だから「とりあえず、一旦ぜんぶ散らかそう」と。
 考えられる方向性、考えられる要素、まだ出てないデータを全部、思いつく限り出しきっちゃう。まとめに入るのは、それからにしよう、って。
 そうしたら、小一時間くらいの作業で一気にスッキリまとまった。

 これはつまり、「磨くために散らかした」わけです。
 一見ムダに見えるものは、数が少なかったらムダなままかもしれません。でも、それが一定量を超えると、共通性が見えてきたり、別の視点が出てきたり、本当に必要なものが明らかになったりすることがある。だから、ちゃんと磨けるように、不要に見えるものも一旦ちゃんと散らかしたい。散らかした方が、磨きやすくなるんです。
 散らかさないまま、ちぎって、くっつけて、ちぎって、くっつけて、こねて、ちぎって、くっつけて、ちぎって………それじゃ、なんだか汚くなりそう。

 エントリー締切に追われて焦っちゃう気持ちは理解できます。
 自己PRを早く完成させなきゃ、という気持ちも解ります。

 でも、散らかさないまま最高の文章を書こうとするのは、至難の業。いきなり完成形を作る方が、高い技術が求められます
 だって、ちょっと想像してみてください。2000字の文章を400字に詰めた文章と、400文字を何度も推敲してできた文章、どっちが密度の高い、良い文章になりそうか。スーパーの売り物を好きに使える状態で作った料理と、自宅の冷蔵庫の中にあるものだけを使って作った料理、どっちが美味しい料理ができる可能性が高いか……。

 プロのコピーライターは、1本の作品を作るのに100本以上のコピーを考えると言います。プロの野球選手は、最高のホームランを打つために何千何万回とバットを振ります。歴史に名を残す科学者でさえ、何十回も実験をしてきたはずです。
 その100本のコピー、数万回の素振り、数十回の実験があって初めて、最高の成果を生み出してきてる。そのときの100本のコピー、数万回の素振り、数十回の実験は、本当に「ムダな手間」なのかな。

 ムダになることを怖がらないでください。
 まずは散らかしてみましょう。
 ちゃんと「磨ける」状態から作ってみる。
 その方が、「光る」可能性が高いですよ。