昨日に引きつづき、就活病の話。

 デキる社会人のイメージを勝手に妄想して、どんどん「架空の自分」を膨らませていっちゃうのが就活病。企業の採用に関わる人たちは「就活病」という名称こそつけていませんが、就活病にかかっている学生をけっこうな確率で見抜くことができます。「プロの人事担当者」なんかじゃなくても、普通の現場の社員でも見抜ける。

 なぜか?
 それは「就活病」の学生の話はだいたい「わからない」から。

 日本語が下手だからという意味じゃないし、自己PRの内容も理解はしています。質問を投げかけてくるのも、面接官は「わかろう」としているから。でも結局のところ「わからない」から落とすしかなくなっちゃう。
 特にエントリーシートから二次面接くらいまでの間に「わからない」と思われて落とされている学生は、たぶん8割を超える。つまり就活病の人は「評価」される舞台にすら上がれてない

 どんなに自己分析を重ねても、どんなに自己PRの文章を練ったとしても、「評価される」以前に「わからない」から落とされる。でも就活病は自覚症状がないから、学生はどんどん「わからなくする」方向にがんばっちゃう。

 なんで一生懸命考えたエントリーシートや自己PRが「わからない」ものになるのか? それは、就活病の定義の前半部分にあるように「社会から求められているものを妄想して“架空の自分”をつくりあげ」ているからなんです。
 しかも、その妄想のバリエーションがみんな大体一緒。「多様な価値観とのコミュニケーションが」とか「次世代を担うリーダーシップが」とか「未知の世界に飛び込むチャレンジ精神が」って、企業のホームページに書いてあるものをそのまま受けとる。そこから、自分のこれまでの人生で「それっぽい経験」を引っ張り出して当てはめる。結果として、それっぽい自己PRが完成する。
 先週も書いたけれど、「それっぽい言葉」っていうのは、だいたいの場合、役に立たないことが多い。それっぽい自己PRはまさにその真骨頂。
 そういうことに企業の人たちは、すぐに気づいちゃう。

 たとえば、飲み会でサラダが来るたびに必死にとりわけてくれる人、たまにいますよね。「気が利く私」を演じすぎてて、傍から見て「お前、普段そんなんちゃうやろ!」っていうのがわかりやすいほどにわかっちゃう。自然にできる人はいいんです。でも不自然なのってわかるでしょう? 就活病の学生もそれと同じです。
 「こういうの、好きでしょ?」「こういう人がいいんでしょ?私、それです!」と、相手の求めているものを勝手に妄想して演じようとするから、マッチしない。
 不自然にサラダをとりわけるのに必死になってたり、必要以上に重い荷物を持とうとしてくれるような人って「素の状態」がわかりにくいから、付き合うのにちょっと慎重になっちゃう。それは企業が一緒にはたらく仲間を選ぶときも同じです。

 就活病の学生は「素の状態」を見せずに、仮面ばかりつくっていく。
 それが、就活病の学生の話が「わからない」原因です。

 いま「当たり前」とされている就活の仕方っていうのは、その「仮面のつくり方」に寄っているものが多い。当然、そうじゃないアドバイスをしてくれる人もいるし、そうじゃない要素があるのも事実です。でも、就活病をしらないでいると確実に冒されていくのも事実。
 「じゃあ、どうすれば?」ということに関しては、これからちゃんと書いていきます。今のところは就活病の存在を知って、就活病の菌を避けること。それが、就活をしんどくしないための方法だと、僕は考えています。

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