東京タラレバ娘がドラマ化決定。最新刊6巻も出て、今後がまだまだ楽しみです。
このマンガは、幸せになりたいアラサー3人組とイケメンKEY君を軸に、さまざまな人間模様が繰り広げられるのですが、基本的にはアラサー3人組が仕事や恋愛やら何やらで、ちょっとしたことやそれなりに大ごとがあったりしながら喜怒哀楽の感情に揺さぶられたりする中で、ホントにとっても示唆の多いマンガです。
あのときこうしていタラ……。
あれをやっていレバ……。
って、そういうことの繰り返しだから、「タラレバ娘」なわけですね。
つまり、これまでの人生に後悔しながら生きている、と。
んで、このマンガを読んでいて、もしくは日常生活で似たような境遇や感情の人たちを見かけたりして、そんな「後悔する人生」を送る人には、共通している思考パターンがあるんじゃないかと気づきました。
それって何かというと、タラレバ娘のみなさんって、
ぜ~んぶ、自分視点
なんです。
基本的に世間の目線を気にして、自分の幸せのことしか考えてない。
自分がこうでありたい。
自分がこうしたい。
自分の好みの人がどうこう。
自分の理想の未来がなんちゃら。
自分が幸せになりたい。
人と比べて自分って……。
あの子は幸せなのに、自分は……。
ず~っと「自分」が「自分」が。
ず~っと「自分」が「自分」が。
いや、もちろんいいんですよ。
たった一度しかない自分の人生、自分が楽しく、幸せになることがいちばん大事。そりゃそうです。
もちろん世の中には、自分の幸せを考えて、世間のルールにも沿っていながら幸せを感じる人生を送っている人もたくさんいると思います。
でも彼女たちを見ている分には、自分の幸せばっかり考えてるから、自分が幸せになれないという矛盾があるように見えます。そこに気づかないかぎり、彼女たちはいわゆる「後悔する人生」から抜け出せないし、本当に自身が幸せだと思える人生を送れるようにはならないんじゃないかな、と。そんな気がするんです。
んで、そういう意味で、世間を冷静な視点で見つつ、他者を想うKEY君が彼女たちの対比になって、このマンガの面白さ構造が際だつわけです。KEY君なんて、別にアラサー3人組に絡む必要なんてないのに、わざわざ彼女たちに(決して親身に優しくとは言いにくい方法でありながらも)助言する。
いやはや、そりゃカッコいいですわ……。
世間の目を気にして、それを基準に自分の幸せを考えてたら、そりゃ立ち位置がわからなくなって、何が正しいのかわからなくなっちゃいます。「手に入れられたはずのもの」に対して、ああしていタラ、こうしていレバって、過去を振り返って後悔する可能性も高まります。そのうち自分に自信ももてなくなって、待っているのは負のスパイラル!!
話はぜんぜん違いますが、最近ぼくは作業しながらYouTubeで過去の探偵ナイトスクープを根こそぎ見ていたりします。この番組って、依頼者は何か困っていることがあるから依頼をしてきます。そして、探偵さんがその困りごとや悩みを解決する。そんなときの依頼者の反応を見ていると、すごく面白い。そこにも、大きく2つのパターンがあるんです。
依頼が解決しました。
そこで依頼者は「うわ~!!」 「すご~い!!」 「マジで!? マジで?」と喜ぶ。
そのあとで、探偵さんに対してすぐに「ありがとうございます」って言う人と言わない人。
つまり、自分のことを優先する人と、他者への意識を持ってる人の違い。
ここに注目して見ていると、すごく面白いです。
もっと言えば、探偵さんが家に来た時点で「わざわざ遠いところを……」とか言う依頼者のケースは、だいたい最後は感謝の「ありがとう」がある。この回やこの回なんかは、本当に「親御さんがしっかりしてるんだなぁ」と感心しちゃうことしきり。
そうやって、ほんの小さなところに、後悔する人生を送る人のポイントがある気がします。
昔話や童話だって、損するのはいつも自分のことばかり考えている人。主人公はだいたい損得よりも他者のことを考えている人たちです。
そんな視点で見てみると、タラレバ娘たちがいかに「自分視点」でしか考えていないかが、随所に散りばめられています。
もし『タラレバ娘』を読んで、「明日は我が身……」みたいな気持ちになるとしても、この視点があるならたぶん心配は無用なんじゃないかな、とぼくは思うんですけど、どうでしょう。
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